我々は自由だ
私が一番解放されたいんだけどさぁ、解放してあげたい欲が最近強い話。
これも前々からしょっちゅう書いてきてますが、
『スピリチュアルとは、こういうもの。』
『スターシードとは、こういう人。』
みたいな、【"イメージ先行の"スピ系】が私は苦手です。
まぁ…かつての時代に合わせて、選民意識を利用したスピ系なんかもあったっぽいので、仕方ないのかもしれませんが、
『スピリチュアルに精通してる自分、ドヤ( ・`д・´)』
みたいなヤツも、苦手です。
『ただのごっこ遊びじゃん。』
って気分になります。
で、最近妙に、
『私は、自分の同志たちを色々と囚われた意識の中から解放するお手伝いをすることも、使命の1つなんだ!』
と、いう気分になったり、
『私の同志たちを縛っている意識をぶっ壊しに来たんだ!』
って気がしたり、とにかく仲間のメテスたちを自由にしたい欲が非常に強いのです。
だから、"イメージ先行の"世界観で縛ってるスピ系にかなり反発心が芽生えるんですよね。
『スピリチュアルとは、こういうもの。』
『スターシードとは、こういう人。』
凝り固まった世界観で個人で楽しむ分には、それは全く問題無いんですけど、その世界観に引きずり込もうとする感じに、凄くモヤモヤしたものを感じます。
そして、
「私の同志たちは、そういうのに巻き込まれないでねー!自分の世界観見付けて、大事にしてねー!!!」
って、念押ししたい気分が強まってるのです。
ちょっと前に、私は
「ネガティブな意識が湧いてくる度に反応しない訓練を繰り返してたけど上手くいかなくて…。」
といった内容を書きましたが、別にネガティブな気分になることが悪い訳でも、ポジティブでいなければいけない訳でもないので、その辺を改めてしっかり書いておきたいと思いました。
【ネガティブな反応】って、凄く大切なんですよ。
『何か嫌だな!』
『これ、腹立つな!』
『許せない!』
こういう反応は、自分の幸せに気付くヒントが眠ってるサインなんです。
『何か嫌だな!』→『自分が嫌だと感じるのは…何でだろう?』
『これ、腹立つな!』→『もっと具体的に、どこに腹が立ってるんだろう?』
『許せない!』→『何をどう許せないんだろう?』
などなど、自分がネガティブな反応を感じたとき、色々と深掘りすることで、自分が気付くべきことに気付けます。自分が気付くべきことに気付くと、自分を解放する考えや意識が連鎖し始めます。
だから、ネガティブな反応を感じたときは"素直に"
『ムカつく!』
『うぜー!』
『無理!』
って、怒りなどを自分でしっかり受け入れなければいけないんです。蓋をしてはいけません。
『ネガティブになってはいけないから…。』
と、考えてはいけないのです。
人それぞれかとは思いますが、
【自分の望まない結果】
【自分が求めてないイメージ】
【訪れてほしくない未来】
こういう、将来への不安を抱かせようとするイメージが湧きやすい人は多いです。
私の場合は、過去の嫌な思い出や記憶などもとても蘇りやすいです。
ですが、過去や未来のイメージは"今"考える必要が無い事柄なんですよね。"今"は"今"に集中することで、目の前の嬉しいことをしっかり享受できるので、
『今、自分は、何してる?』
と、今この瞬間に立ち返るよう心掛けることが大事なのです。
過去や未来という"空想"に囚われていては、それは"今"を生きているとは言わないので、"空想"に浸り続けてしまうことは、自分の人生を失ってしまうことに繋がりかねません。
だから、今この瞬間を存分に味わえるように意識を引き戻すことがとても大事な場面もあるということです。
大分前の記事内でも書きましたが、
『今ここ!今ここ!今ここ!』
と、今に集中し直そうと繰り返してるのに、それでもフツフツと苛立ちやモヤモヤが再発するような場合、それは
『自分の意識の中から解放しなければならない何かがある。』
と、判断してほぼ間違いがありません。
自分の意識から解放すべき何か、気付くべき何か、これらを見付けるよう促されるときというのは、多くの場合
[他人が絡んで、自分の感情が動く事象]
が多いのです。
『あの人は、何で○○なの?!』
『あの人の△△どうにかならないの?!』
『どうしたらあの人は□□止めてくれるの?!』
こんな感じで、他人に対するネガティブな感覚が繰り返し蘇ってくる場合は、大抵気付きを促されています。
先日私が苦戦していたのは、
『生きていたくない。』
などと、他人が絡まない事象でのネガティブが蘇り続けていたので、私が気付くべきことへのヒント、取っ掛かりを上手く見出だせなかったからでした。気付くべきことに気付かせるための反応の中でも特殊なパターンだったのでしょう。
気付くべきことになかなか気付けない場合の【ネガティブな反応】はなかなかしつこい。
この部分もしっかり押さえておくと良いのかもしれません。
スピ系の多くは
「考えるのを止めましょう。」
「思考を手放しましょう。」
といった教えが多いですが、私は正しく分析することが大切な場面もとても多いと感じているタイプです。
[自分に湧いてきたネガティブな感情を抑え、無理矢理ポジティブな自分になるように努め、イライラする原因について思考を廻らせない]
という対応は完全に真逆だと私は感じているので、
「ときに分析、思考を廻らせるのは大切なことですよ!」
って、伝えたいです。
先程書いた通り、
[過去や未来など、【今ここ】ではない事柄への空想に意識を向け続ける]
これは、止めた方が良いです。こういう方向性の"考え続ける"は手放すべきでしょう。
一方、
『どうしても、イライラする。何で自分はイライラするの?具体的に、どう嫌だった?』
と、自己対話を繰り返し、イライラする原因を深掘りしていくような形で、自分が納得できる答えを求めるための"考え続ける"はとても大事なことです。
むしろ、そこから逃げるのが本当に良くありません。しっかり、嫌なものは「嫌!」、やりたくないことは「やりたくない!」、自分の心に正直になれなければいけないのです。
【正直で素直な自分の意見】を引き出すために、自分の頭の中で自己対話を繰り返し、考え続けることはとてもとても大切なことだから、絶対にそこから逃げてはいけません。その点においては、考えなければいけないことなのです。思考停止させる場面ではないんです!
『スピリチュアルな人はこうあるべき!』
の、ようなイメージ先行系のスピリチュアルって、たとえ自分が
『人に優しくするのって嫌なんだよなぁ。』
などと感じたとしても、
『スピリチュアルな人は人に優しくして然るべき!人に優しくしたくない人はスピリチュアルな人ではない!スピリチュアルな人になるためには、人に優しくすることを厭わない人にならなければならない!』
みたいに、型にハメ込もうとするから、本当に嫌い。と、いうか、それスピリチュアルじゃないし、と、思うんですよね。
私たちは、自分自身の感覚、感情を素直に表現できるようにならないといけないんです。
『嫌だ。』
と感じれば素直に
『嫌だって思ってるなぁ。』
と捉えなければいけないし、
『腹立つ!』
と感じれば正直に
『腹立ってるよなぁ。』
と捉えなければいけないんです。
『嫌だ。』
と思ったからといって
「嫌だ!」
ってアピールする必要も無いし、
『腹立つ!』
と感じたことを
「腹立つ!」
って口に出さなくても良い訳ですよ。
『嫌だ。』
『腹立つ!』
感じるのは自由なんです。むしろ、感じたこと、思ったことは、素直に正直に自分がしっかり認められて初めてスピリットに繋がってる自分として生きてることになるんです。
【"スピリチュアルっぽい人"に当てはまってない自分】
を認められなければ、それはスピリットに生きてませんよ。
最初に書いた通り、
【スピリチュアルっぽい世界観】
に個人で浸ってる分には全く問題も無いし、好きにするべきだと思うんです。
ただ、そういう"イメージ"を強く受け過ぎて
『自分は当てはまってないからダメなんだ…。』
『自分はネガティブなことばっかり感じる人間だから目覚められないんだ…。』
みたいな、間違った判断をしてしまう人が1人でも減って欲しいと私は思ってます。
自分の感覚、感情はどんなものでも真っ直ぐ受け取って良い、むしろ受け取らないといけないんだということが広く伝わると良いなって、思うんですよね。
先程も書いたように、ネガティブなことを感じた、思ったからといって、わざわざ口に出したり、強くアピールする必要までは決してないんです。
でも、たまに
「スピリットに従うことって、自分のワガママに生きることだから~!」
って、わざわざ言わなくて良いことまで言ってしまうタイプもいます。←こういうタイプを目にすることで、
『ワガママはいけないなぁ…。』
と、ついつい自粛してしまう場面もあるかもしれませんが、自粛できるということはワガママを発揮する場面を見極められる人なので、自分を抑えることよりも出すことを優先して取り組んでください。
「スピリットに従うことって、自分のワガママに生きることだから~!」
この手のタイプも
『ワガママに生きる自分☆スピリチュアリストミャハ☆』
と、イメージ先行系に当てはまってる自分アピールなだけなので、放っとけば良いです。
『ワガママとは、他人に向けて発信するものだ。』
っていう認識を捨てて、
『自分が自分のワガママを精一杯聞いてあげることが最大の自愛なんだ!』
と塗り替えて、しっかりあるがままの自分を生きられるようになってください。
私たちは、感じたことを素直に感じるために生きているんです。何を感じるのも自由なんです。
"スピリチュアル"に当てはめるために自分を抑えるのは止めてください。自由を奪わないでください。
私たちは、何かに所属してなくても大丈夫なのだと、唯一無二で良いのだと、腑に落とせる人が1人でも増えますように。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?