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マメじゃねぇんだ
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今日、ふと食べたくなって食べた
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カルボナーラ。
カルボナーラ選んだ日に限って、デザートもカスタードクリームパン選ぶって…
頭卵に支配され過ぎじゃね
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最近色々と取り組んでみたいことがあるんだけど、
『既に取り組んでる編み物をまず完成させてから他のことに着手したい!』
と思ってて、それなのに編み物がスランプなんですよね…。
これはもはや編み物を中断して、他のことやっちゃうべきなのか…どうなんだろう?
みたいに、な~んか、モヤモヤしてます。
ずっと言ってるけど、私は元々DIYブログが書けなかったんですよ。
ダダダダダダダダ…って作業しちゃいたくて、
『工程毎に文章と写真を添えて…。』
みたいなまどろっこしいこと、すっごい苦手だったんです。
だけど、一回取り組んでみたときに、物凄く自分にとって気付くことが多くて、そこから
[自分が行ってる作業をこと細かく記録してみる]
っていうことがとても大事なんだって気付いた訳ですよ。
それで、結構ハードル高い(私にとって)作業の記事を書き始めてしまったものだから、色々苦戦しております苦笑
作業の一段落毎に写真、文章をメモって…編んで…一段落着いたら写真、文章、編んで……
その度に
『どこまで記録する?』
『え?ねぇ、この間違えたこと書く?』
『ちょ…文章でどうやって表現すんの?』
編み物ではない部分で苦戦して、頭グルグルになるから、編み物でも苦戦して…
一生懸命やり過ぎてます!笑
この取り組みをやってて、
『私って本当にマメじゃないんだな。』
って自覚するんですよね。
他の人から見たら
「十分マメだよ!」
って言われそうな気もするんですけど、何て言うか、本当にマメな人って、こういう一段落付いたときに写真、文章、また元の作業…っていう流れが苦にならないんじゃないかと思うんですよ。
ストップモーションアニメ撮れる人とか、正にそうなんじゃないかな?って。
私も
『ストップモーションアニメ撮ってみたい!』
ってほんのり夢に描いてたけど、最近の取り組みを経て
『私には無理だわ!』
って、結構確信に近い何かを感じてしまいました笑
こういうの全てひっくるめて
『私って…すぐ自分のNG部分だけにフォーカスするよなぁ…。』
って思う訳ですよ。
思い出されるのは子供の頃からの苦い記憶。何をやっても粗探し、ダメなところばかり指摘される。褒めて貰えない。
自分の自己肯定感の低さと、そんな風に育ってしまった経緯、全てにまた
『そんなお前嫌いじゃー!』
ってNGを出すんです。
そろそろしんどいて!
綺麗事とかそういうのじゃなく、何事にも必ず、[挑戦すること]に意義はあるんですよ。
結果がどうとかを置いておいて、何かに挑戦するということそのものが、自分のコンフォートゾーンを広げるっていうことに成功したことになるから、それは自分にとって、とても偉大な業績なんですよね。
そこをしっかり見ないといけないよな、と改めて気付きもしました。
あと、上手くいかないことがしんどいのではなくて、そのコンフォートゾーンを広げるという作業がしんどいのかもしれない、という部分にも気が付きました。
私はこれまで、何かと
『自分は完璧主義だからこんなに苦しいのかもしれない…』
という風に考えてしまう場面が多かったのですが、
『この苦しみって、単純に自分のコンフォートゾーンを広げる苦しみでしかないのかも?』
と感じてから、その苦しさ、しんどさは
『あー、筋トレの負荷みたいなもんか。そりゃ、徐々に重くなるよな。』
と、どこか納得できた気もして、自分の性格に対するモヤモヤは少し晴れたんですよね。
今までは
『自分がダメだから苦しいんだ。』
と考えていたところから
『負荷が増えると苦しいのは当たり前だ。』
という感覚になれたことで、また1つ自分へのダメ出しを減らせることに繋がった訳です。
本当に、世の中にはトラップが多いですよね!
「完璧主義を止めましょう。」
「0-100思考を止めましょう。」
「減点方式を止めましょう。」
こういう類いの言葉を沢山目にしてきたことで、私は逆に
「自分は完璧主義だからダメなんだ。」
「自分は0-100思考だからダメなんだ。」
「自分は減点方式だからダメなんだ。」
の、ように自然に考えてしまってました。
でもそうじゃありませんでした。
コンフォートゾーンを広げるのは、それなりに負荷はかかるのは当たり前。その負荷で苦しんでしまうのも仕方のないこと。自分がダメだからではない。
この部分に気が付けたのは本当に大きな収穫でした。
そう。私たちはいつでも、[自分が欠けてるから上手くいかない]
のではなくて
[自分は既に完璧だけど、偏った思い込みによって苦しんでるだけ]
なんですね。
また1つ腑に落ちた気がします。
これまでも
「あなたは完璧な存在なんですよ。」
って、スピ界隈でもよく唱えられてるのを目にしてきてたけど【自分が完璧じゃない裏付け】が凄く多くて、自分が完璧だとなかなか思えずにいたんです。
でも今回のことで、
『そうか、自分が完璧じゃない理由が見付かったときは、その理由付けの考え方が間違ってるだけなのか。』
と、しっかり解った気がするのです。
どうしても、まだ思考の癖が完全に直るフェーズまでは届いてないとも思うので、しばらくは安定しなさそうですが、
[自分にNG判定を下すこと]
を無くしていかないといけませんね。
「自分の欠点に目を向けるのを止めて、自分の良いところを探しましょう!」
という風な言葉もよく目にしてきました。
当然、人によるとは思いますが、私と似たタイプは、この解釈じゃちょっと足りないようです。
・自分へ欠点だと判断付けることを止めましょう。
・欠点を見付けてしまったとき、何故それが欠点だと思うのか、考え方を見直しましょう。
・新しい考え方で自分を見直してみましょう。
この方向性で考え直した方が確実に納得できると思います。
良いところを加筆するのではなく、余分を削ぐ方向性ですね。
分かってても…ついつい脳の癖が自分を責めてしまうんだから…
本当に、育て方って大事だと思いますよ。私は。無駄な十字架を背負わせない育て方ができる大人の数が増えて欲しいと切に願います。
私は、呼吸をする位自然に
「自分は○○だからダメだ。」
という方向性で自分を見てしまいがちですが、
『なぜ、○○だからダメという判断になるの?』
と、逐一自分に確認してあげなければいけないようです。
そうして、細かい細かい自分との対話の積み重ねが、自分自身との信頼関係を構築できるのだと、分かっていても、苦手なんですよね。
マメじゃないんですよ、私。
これからはより一層自分に気を配っていこうと思った今日この頃でした。
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