経済は血流と同じ
私、たまに重要なことをシレッと全く関係ない話の中にぶっ込むから、良く無い気がする笑こればっかりは気を付けてても無くしきれない。
はい、お察しの通り、先日上げた記事の中で軽く触れた、
「社会の経済を潤すには、流れるお金の額面を増やすことではなくて、流れる場を増やさなければいけないんですよ。」
と、いう部分の話ですね。
まぁ、前々からちらほら書いてはいたんですけど、もうちょっとイメージしやすい話をまとめておこうと思います。
「冷え性で、足先が冷えて冷えてしゃーないんです🥶」
と、いう状態。これが、経済が停滞してる状態ですね。
身体の中心部はしっかり体温があるのに、足先や手先にかけて血流が滞っている状態です。現代の日本の経済状況も正にこんな感じでしょう。お金があるところにはしっかりあるけど、無いところにはとことん無い。イメージしやすいのではないでしょうか。
「それでは、冷え性を解消していきましょう💆♀️」
と、改善を試みる際、間違っても流す血液の量を増やそうとはしませんよね?それはただの高血圧とも言えますよね?
そう。冷え性を改善させるために大切なことは、[流す血液の量を増やすこと]
ではなく、
[血液が巡る毛細血管をしっかり機能させること]
なんです。
経済においても、多くの会社の給与が上がることより、少額であってもお金が動く場が増える方が、国全体の経済が潤うんですよ。
仕組みはとっても単純なのです。
国の経済…なんて大きな規模ではなく、家計というマクロな部分からも例えてみましょう。
無趣味な人、多趣味な人、それぞれを比較すると、関わっている会社の数が桁違いになります。
無趣味な人のお金の使い道は、せいぜい食費や光熱費、日用品に少々お金を使う程度です。"無趣味"と限定すると、食べることや日用品に"拘る"ということが無いということなので、普段買う食材も、日用品にも偏りが生まれやすいのです。惰性で同じものを買い続ける感じですね。(食材に拘って調理したりするのは、それは料理が趣味、ということにもなりますからね。)
買う食材、日用品、それらをリストアップし、それぞれの商品がどの会社のアイテムなのか…ということを羅列しても、普段買う物に偏りがある人の場合、そんなに多くの社名は挙がりません。
一方、多趣味な人は、趣味にまつわる道具、材料、場合によっては教室への月謝、教材、ジムや体育館の利用料、サブスク、楽器、メンテナンスアイテム、スタジオ利用料………挙げ出すとキリがありませんが、様々な形でお金を色々な所に支払う場面が増えます。
たとえ1つ1つが少額であったとしても、支払っている先の会社や個人、団体の数が多いということは、それだけ多くの会社(個人、団体)に関わっている、"貢献している"ということになる訳です。
では、この無趣味な人、多趣味な人の例えを元にもう少し深掘りしていきます。
無趣味な人が、食費や光熱費、日用品費に月額10万円かけていたとします。
多趣味な人は、食費や光熱費、日用品費プラス趣味費全て含めて月額10万円かけていたとします。
額面はどちらも同じ10万円ですね。
と、いうことは、無趣味な人は年間120万円の生活費を約30社に分配していると仮定できます。(※理論上の話)
多趣味な人は年間120万円の生活費+趣味費を約100社に分配していると仮定できます。(※理論上の話)
さて、無趣味な人、多趣味な人、どちらが【多くの人】にお金を行き渡らせることができるでしょう?
一目瞭然ですよね。
額面は小さいかもしれませんが、多趣味な人の方がより沢山の人にお金を行き渡らせることができているのです。
先程仮定した約30社や、約100社はあくまで私の架空の想定の数字でしかないのですが、確実に"無趣味"な人が関わる会社の数の方が少なくなる、という点だけ捉えて貰えば良いかと思います。
30社、ではなく30人。
100社、ではなく100人。
として考えてみます。
無趣味な人は年間120万円を30人に分配しており、その30人は1人あたり年間4万円受け取っていることになります。
多趣味な人は年間120万円を100人に分配しており、その100人は1人あたり年間1万2千円受け取っていることになります。
4万円持っている人が30人が暮らす村。
1万2000円持っている人が100人暮らす村。
もし2種類の村が存在した場合、どちらの村の文明が発展しやすいと思いますか?
多分その答えは、人それぞれのイマジネーションによって面白い答えが見つかると思うので、皆さんも考えてみてください。
若干趣旨がズレる話を書いていきますが、明治維新前の日本は特に、
『お金!』
で物事を換算するような価値観ではありませんでした。まぁ、歴史の彼方に埋もれた価値観なので、証明のしようも無いのですが、日本人は基本的に風情や情感を楽しむ文化が根強いし好きな人が多いのは何となく想像しやすいはずです。
第一次、二次世界大戦を境に益々日本人の価値観も諸外国の影響を強く受け、変化を遂げてきたことでしょう。私個人的には、この世界大戦によってほぼ全ての国が多くのものを失ったのだと思っていて、何も日本"だけ"が被害者だとは思わないのですが、それでも最終的にアメリカに敗戦してしまったことにより日本はアメリカの影響を強く受けることとなったのは言うまでもありません。
これは、完全に私の偏った見方なのですが、アメリカが日本を好き過ぎて余計なお節介を施した側面もあると思うんですよね。小学生男児が好きな女の子をいじめてしまうのに似た、
「俺らと同じようにやれよ?その方が絶対幸せだって!」
と、日本の個性を無理矢理アメリカに寄せさせにきた側面が一部ある気がします。悪意ではなく、善意からの更正指導みたいな?
まぁでも良くも悪くも日本人は頑固なので、染まりきることもなかったのでしょうが、お金(ゴールド)大好きアメリカ人の感覚に合わせて、日本人もお金を求めるよう促されてきた結果が、変な形で反映されてしまってるのが現代の日本なのかなあ、と、いう風に私には見えているのです。
つまり何を言いたいかというと、
「日本人の性質・人柄と[お金を追い求める]というスタンスはそもそも相性が悪過ぎるよね?」
というそれだけのことなのですが、これも何度も書いてきたように
「お金儲けが悪!」
なの"ではない"
のです。
「その絶妙なさじ加減を追及していくことが、日本の課題だよね?」
と、私は感じるのです。
先日書いた話の中では
「お金は汎用性低いよね。」
と書きました。
が、仮にお米等々作物と比較した際にはお金の汎用性は高いのです。
作物<お金<精神的拠り所
の順に汎用性の高い通貨兼救援物資(物資…でもないのですが)なので、お金が多くの人の救援になるという点は間違いありません。お金が存在しているお陰で救われる物事は世の中に沢山あるのは事実なのです。
ただし、
「お金は世の中に巡っているから役に立つ。のであって、お金が大量にあれば良いという訳ではない。」
という部分を見誤ると不調和が生まれる訳です。
⚠️決して詐欺を推奨する訳ではないのですが⚠️世の中で様々な詐欺が生まれてしまうのも、深い部分を突き詰めていくと不調和の解消としての側面があるからなんですよね。
例えば【1千万円の眠っている貯金】は、そこに眠っているだけでは何の役にも立っていません。
ところが、詐欺グループによって盗まれた1千万円が、詐欺グループによって使われてしまったとしますよね。
その際、被害者とも加害者とも全く関係のない、経営難に陥って困っていた会社の商品をたまたま詐欺グループの1人が大金でまとめ買いしたとしたら、その資金のお陰で経営難だった会社が潰れずに済む可能性もなきにしもあらずなのです。
⚠️繰り返しますが、だからと言って犯罪を推奨するつもりではないのですが⚠️眠っていた1千万円の一部が経営難のお店の元まで届いたことによって、そのお店のオーナーや、場合によっては従業員、家族、等々何人もの人が救われる可能性もある訳です。
このような采配の妙によって、1人の被害者の向こう側に何人もが救われる可能性があるために、詐欺が生まれてしまう側面が一部あるんですよね。
↑このような事態を防ぐには、勿論
『犯罪は絶対に犯してはいけないよね!』
と、考えられる人が増えることも大事なのですが、同時に
『お金の流れを塞き止めてはいけないよね!』
と、考えられる人が増えることも非常に大事なのです。資産"運用"をできる人がお金持ちでありやすい原因の1つはこの辺の話に付随しているということですね。
【自分の手元に沢山のお金がある状態】
をゴールとして想定するのではなく、
【自分が"動かす"金額が大きい状態】
をゴールとして想定するのが、真の意味での豊かさを得ることに繋がる訳です。
更に言えば、
【一度にまとまった大金を動かせる状態】
よりも
【少額であれ、沢山の場所(人)に何度もお金を動かせる状態】
を心掛けている方が、他者を助けたり、貢献したりと、"人助け"としての側面が強くなるということです。
では、途中に書いた
「4万円持っている人が30人が暮らす村。
1万2000円持っている人が100人暮らす村。
もし2種類の村が存在した場合、どちらの村の文明が発展しやすいと思いますか?」
という部分の話と繋げていきますが、「どちらが?」などとズルい書き方をしておきながら、私個人は、両方の側面を併せることがとても大事だと考えています。
あえて「どちらが?」と書いたのは、両方の側面についてメリットやデメリットを考えてみて貰いたかったから、ただそれだけです。
4万円持っている30人と、1万2000円持っている100人を合わせた130人の村を作るのが、一番文明は発展しやすいのではないでしょうか。
より多くの資金を使って開発することも時に大事なことです。
より沢山の人の中からアイディアを出すことも大事なことです。
村、いわゆるチームとして考えた場合、突出してお金を持っている人が大事な場面も必ずあるということですね。ただし、自分の中に溜め込むのではなく、しっかり社会の中に回していくことが重要です。
一方、お金があろうとなかろうとアイディアによって工夫できる人、というのも、チームとして考えた場合、かなり貴重な存在なんです。現代はまだ、『お金ありき…』でしか物事を考えられない人が多く、
『お金が無いことは良くないことなんだ…。』
と、卑屈に考えてしまう人も少なくはないでしょう。ところが、お金が無い状態で生活できるということは、言い換えれば
『お金など関係なく工夫できる知恵を持っている。』
とも取れる訳で、この要素も、チーム内の沢山の人間が協力し合って生きていくためには重要なんです。
厳密に言えばちょっと違うのでしょうけども、例えるなら、4万円を持った30人の村がアメリカ、1万2000円を持った100人の村が日本、という感覚に近くて、どちらの要素も必要な側面を持っているという話ですね。
まぁ…現実的な話をしてしまうと、お金でしか物事を量れない人が
【お金ではない何か】
に価値を見出すのはとてもとても難しいので、一朝一夕で130人が協力できるスタンスを築ける訳ではないのではないでしょうか。無理だとは思いませんが、ハードルはそれなりに高い気がします。
グルグルと色んな側面について書きましたが、少額であれ、より多くの場にお金が
流れ続けている
ということが、大事なんです。
手元にお金が残ってない、貯金が全く無い、などの状態であったとしても、毎月の給料を使って消費活動を行い続けているのであれば、それは「貧乏」とは違うのだと、気付くべき人は世の中に沢山いるのです。まずはセルフイメージから
『あぁ、自分は貧乏とは違うんだな。』
と認識を改められる人が増えると、それだけで世の中に豊さが増え始めるので、色んな人に伝わったら嬉しいです。
先程も書きましたが、残念ながらお金でしか物事を量れない人にはこの話を理解できないと思うんですよね。私自身、
『お金持ってない自分はダメなんだぁ😣』
と、お金でしか物事を量れなかった頃にこの部分の話は理解できなかった自信があります。価値観や考え方を変えるという経験を経たから、この部分が理解できるようになっただけなので、
『伝わる人の方が少ないのかもしれない…?』
とすら思います。
でも、解る人も絶対いるとも思っていて、気付いた人から順々に
『そうだね。自分の手元っていうマクロな視点だけで見てたらダメだよね。』
って、ほんのちょっと意識や行動を変えていける人の背中を押せたら嬉しいです。
何より、私自身が
『あー…そうかぁ…。社会の血管の一部である自分が"動かす"額面(血液)を増やしていけるように心掛けたり、お金(血液)が動くフィールドを増やす意識で物事を考えるのが大事なんだな😗💡』
と気付けたことで、今後何かしらの行動に活かしていこうと思うのです。まだ、何をどうするかまでは分かりませんが。
なので、この話を読んだ人も
『自分も何かちょっと行動を変えてみようかな💡』
と考えられるきっかけになったら良いなぁって思います。
またトゲのある言い方をしてしまいますが、お金でしか物事を量れない頭の固い人のことは放っておいて、気付いた人から先へ先へと新しい時代の価値観に移行していくことが大事だと考えているので、我が道を進む後押しになったら良いなぁって思います。
豊さは0円から作れます。
伝わる人が1人でも増えますように。
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