見出し画像

下駄を履きたい


また初っぱなから矛盾しますが、私は数年前から、サンダルを履くのを止めました。

真夏のように沢山汗をかいてしまう時期こそ、靴下をしっかり履いて汗を吸収して欲しい…などと思い、素足で履く系の靴を全て止めたのです。



ですが、人間の身体の構造はやはり猿に似ていて、地面を足で掴む感覚で過ごすのが、健康面その他諸々、調子を良く保ってくれるみたいですね。

そういう観点で見ると、下駄や草履はとても理にかなった履き物なのでしょう。



二枚歯の下駄など、普段履いてない私たちが突然履き始めると疲れる可能性も高いですが、足首の動きなどを中心に考えると、本来下駄などの構造は人間の身体の動きに合わせて作られていたアイテムなんじゃないかと思えてなりません。

現代のアスファルト社会の中では実感は難しいのかもしれませんが、本来、人間が歩くときの足の動きありきで生まれたのが下駄なのだとすれば、そろそろ下駄文化を取り戻す方が、精神と身体の統一に向けた、時代に沿った履き物なんじゃないかという気がします。



昔の侍たちがどれほど強かったかはわかりませんが、多分その根源の一旦を担っていたのは下駄やわらじの文化だったのでしょうね。

地面(履き物)を足で握るような意識を常に持ちながら過ごすだけで、精神と身体の一貫性も強まり、ブレない人間性でいられるということは容易にイメージできます。

スニーカーのように、足への意識を一切運ばずとも平気で歩ける代物を履いて過ごしているのとでは、毎度毎度一念への思いの乗り方が異なるであろうことは切にわかります。

物理的に
自分の足で歩いている。』
という感覚が、意識に及ぼす影響は大きいでしょうからね。



下駄を履きたいのもそうですが、好奇心から下駄を作ってみたい気もしますね。

自分が履いて過ごせる程頑丈な下駄は作れる気はしないので作らない可能性の方が高いですが、自分の足の形、動きにピッタリフィットした下駄を履きたいものです。



せめて、また5本指ソックスに戻そうかなぁ???

ギュッ
と地面を掴む生活は大事だよね。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?