自分を変えるということ
{2021.10.25の記事}
昨日ストレッチをしていたら、不意に子供の頃のトラウマを思い出した。
私は成長が早く、しかも肥満児だった。
だから、同年代の子供の中では頭1つ分背が抜き出ていたし、背が高いことで明らかなデブ、というよりは【大きい子】という表現がピッタリだった。
一般的な子供よりも一歳分程体が大きいが、中身(心)は同年代と変わらないので、泣きながら母におんぶされたりしていると
「大きいのにねぇ……。」
と皮肉をぶつけられたりもした。
歩いているだけでも出会う大人出会う大人(家族の知り合いなど)から
「大きいねぇ!」
と言われた。
恐らく大人たちは何も考えずにただ大きいなぁ、と思ったことを言っていたのだと思う。
でも、私自身としては、女の子に産まれたのに
「可愛い。」
ではなく
「大きい。」
と言われ続けたことが、何となく嫌だったんだな。と、いう幼少期の感情を理解した。
また大人たちの言い方に皮肉が含まれていたのも、何となく感じていたのだと思う。
「普通とは違うね。」
と、型にハマっていないことへの違和感が
「大きいね。」
の一言に含まれていたよね。と。
大人になった今、
『普通と違うことは悪いことではない、むしろ普通って何?』と、思えるまでにもなったが、それでも
「変わってるね(普通とは違うね)。」
と言われて嫌悪感を抱くのは、この子供の頃の経験によるものかもしれない。
中学時代で身長は2cmしか伸びなかった。
そのお陰で今の身長は女性の平均身長でコンパクトに仕上がって、良かったと思っている。
ただ、成長が早かったことで、小学校5年生で胸はCカップあった。
当時は制服がサスペンダー付きのスカートで、とても恥ずかしかった。
サスペンダーが胸のせいでズレたり、胸が強調されるのが嫌で、サスペンダーを下ろしていると先生達が叱ってくる。
『理不尽だなぁ。』と思っていた。
とにかく私に出来ることは、背を高く見せない、胸を大きく見せないように、猫背を心掛けて過ごすことだった。
そのせいで、姿勢が悪い癖がついたのは言うまでもない。
なぜ、こんなことを思い出したのかというと、私は子供の頃から習い事でスポーツをやっていた。
小学校に上がるちょっと前から、体操系の習い事をしていたのだ。
だから、柔軟性が必要な筈なのに、私は子供の頃から体が硬かった。
大体子供というのは体が柔らかい筈なのに、私はそうではなかった。
今考えてみると、
『骨の成長に筋肉の成長が追い付いていなかったのでは?』
と思ったからだ。
私は[痛気持ち良い程度]が分からない。
体が硬すぎて、ちょっと伸ばしただけで、痛いからだ笑
そこに、気持ち良い感覚なんて付属しない。
最近、
『筋肉痛の痛みと、ストレッチする時の痛みって、痛み方が違うよねー…。』と考えるようになった。
これは仮説だが、私の脂肪まみれの体は、筋肉に脂肪がくっついているから、伸びないし、伸ばすと筋肉と脂肪が少しずつ剥がされることで痛いのでは?
と考えるようになった。
もしそうだとすれば、肥満児だった幼少期も脂肪が張り付いていて体が硬かったのかな、なんて思う。
何にしても、体が硬すぎて脂肪まみれの私の体は、[痛気持ち良い感覚]が存在しないので、自分の体と対話しながらストレッチをやるしかない。
「もうちょいイケるか?」
「いや、ギブギブ、ここでキープして!」
自分の体相手に、"微妙に"負荷を与えるということは、神経を使うし、神経を使いながら筋肉の緊張を緩めるという作業もなかなか難しい。
だから私の体が柔らかくなるには相当時間がかかりそうだと、改めて実感したのであった。
こんなことを考えながらストレッチをしてみて、
『あ…私って目立つこと=悪いことって思ってるな。』という発見をした。
私は、昔から目立ちやすいタイプだったが、目立って得したことが1度も無いのだ。
どちらかといえば、目立って損だった記憶の方が多く、そのことで
目立つ=悪いこと
と無意識に思い込んでいるな。と。
だから目立つのは嫌いで、目立つ自分も嫌で、自分を抑えよう抑えようとしている所があるのかもしれない、と。
『この(心の)ブロックも外せという、天からのメッセージか?』と更に頭を悩ませることになった。
正直、何もしなくても目立つ、目立たないようにしようとしても目立つときは目立つ。
目立ってもデメリットしかないのに……
という私の恐怖心を拭わなければならないらしい。
ただ、複雑なのが、私は目立つことが怖いのではない。目立つことには慣れている。
目立つことで面倒臭いことになることが怖いのだ。
なぜ『目立つ=面倒臭い。』と思うようになったのか、という経験のピースを掘り起こさないと、目立つのが嫌だという観念を捨てきれないのだが、そのエピソードが浮いてこない。
これは、しばらく時間を要するぞ…
コツは2つ。
コツコツ。
最近好きな言葉だ。
フィジカルにしろ、メンタルにしろ、自分を変えるということはコツコツ続けるしか無いのだと思う。
心身共に健康な未来を築くために、日々ささやかな取り組みを行っていくしか無いよね。