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ノートルダムの鐘を語る
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{2022.08.19の記事}
↑の話を踏まえた上で、ディズニーアニメのノートルダムの鐘について、詳しく触れていこうと思います。
色んな解釈ができるのですが、私に響いた解釈を書きます。
⚠️ネタバレを含む内容となっておりますので、お気を付けください⚠️
〖主人公のカジモド〗
Quasi modoという言葉で、
・出来損ない
・白衣の主日
という意味を持っています。(諸説あり)
これは、【自分】を象徴しているのだと私は感じます。
人生において、悩んだり、失敗したり、不出来な自分であり、[神に愛される存在である自分]、[自我の象徴]だと感じました。
カジモドだけが話すことのできる〖ガーゴイル〗たちは、言わばカジモドのイマジナリーフレンドなんですけど、【ポジティブな思考】の象徴だと感じました
〖フロロー裁判官〗は
【合理主義】の象徴
〖エスメラルダ〗は
【情熱】や、【heart】の象徴
〖フィーバス〗は
【正義感(信念)】の象徴
〖クロパン〗は
【客観的視点】の象徴
〖ノートルダム大聖堂〗は
【宗教観】の象徴
(作品の背景を踏まえれば、主にカトリックを表している)
という風に捉えられました。
人(自我)は普段、合理主義に従って生きています。
序盤のカジモドとフロローの関係性がそれを表しています。
フロローはカジモドをノートルダム大聖堂から出ないように縛り付けているのですが、これは、[宗教観に縛られ、理性に従うように強要されている自分]という状態を指しているように感じます。
フェスティバル、要は何か自分の生活の中で特別な出来事が起こると、人はときに情熱を感じますが、それを表しているのが、エスメラルダの登場です。
[理性を持ってして、自分の情熱を押さえ付けたい、全てをコントロールしようとする状態]をフロローがエスメラルダに執着心を持つというストーリーとして表現しているように私は感じます。
フェスティバルにて、カジモドが酷い目に合っている時、フロローはカジモドを助けません。
そして、エスメラルダがカジモドを助けます。
これは、人が人生に迷ったとき、本当に助けてくれるのは[理性ではなく情熱である]ということを表しているように感じます。
また、エスメラルダがカジモドを助けたことを良く思わないフロローの姿は、[理性で抑え付けられない自分]というものに対する苛立ちやもどかしさ、不快感を表しているのでしょう。
また、情熱に対する苛立ちやもどかしさを感じながらも、情熱という感情の魅力を無視するのは難しい、という複雑な心境が上手く描かれているように思います。
エスメラルダが大聖堂の中に閉じ込められる様子は、宗教観に縛られて自由になりきれない人々の心を表しています。
「人は皆神の子の筈なのに、どうして救ってはくれないのですか」
というエスメラルダの心理描写がとても響きます。
そこにふと現れる正義感(信念)、理性、宗教、
一体何が、自分の味方なのか……
自分を救ってくれるのか……
こんな複雑な心境を、エスメラルダが大聖堂に閉じ込められることで巧妙に描かれているように感じます。
カジモドがエスメラルダを大聖堂から逃がすのは、[自分の情熱を解放する]という意志の象徴なのではないでしょうか、
[理性は、情熱を意のままに操ることが出来ない]このどうしようもない感じ、人生でよくありますよね。
フロローがジプシー狩りを行うのは、理詰めで自分の思考の正当性を必死に畳み掛ける様子を表しています。
しかし、理屈に従っているときというのは、他者を攻撃する可能性もあります。
それを正義感(信念)が責める訳ですね。
しかし、「正義感(信念)ではなく、合理性こそが全てだ」と、フィーバスを追いやってしまうということです。
ガーゴイルたちが、カジモドに
「彼女はきっとお前のことが好きなんだよ!」
と囃し立てる感じは、人が恋した時によくある、気分の舞い上がった状態を分かりやすく表現していますね。
しかし、現実はそう、甘くはない。
エスメラルダとフィーバスのやり取りを目の前で見てしまって、落ち込む感じ、切ないですね。
このシーンで、[自分の正義感(信念)を受け入れる]という部分も表しているように私は感じます。
[正義感(信念)を持って、情熱に従おうと行動する]この状態を、フィーバスと共にエスメラルダを救いに行くというストーリーが表しています。
そこで、映画の冒頭では、愉快にカジモドについて語っていた筈のクロパンが、敵としてカジモドとフィーバスを殺そうとするのも、自分が[理性ではなく情熱を選ぼうとしている自分]を客観的に見ると
『自分の行動は間違っているのではないか?』と葛藤してしまう心理を巧みに表現している気がしてなりません。
エスメラルダはフロローに捉えられてしまいますが、決してエスメラルダはフロローに従いませんでした。
これは、
・情熱は理性では押さえられない
・情熱と理性は常に相容れない
ということを揶揄しているように感じます。
カジモドは、エスメラルダを助けますが、
『自分は、理性ではなく情熱に従う!』という決意の表れなのでしょう。
人々が、大聖堂の前で戦いを繰り広げる様子は、合理主義への批判も含まれているように思います。
映画内では、大聖堂のパーツが折れることでフロローが敗れてしまうことから、
『宗教と合理主義だけでは、人は幸せにはなれない。』ということを表しているのだと私は感じます。
そして、エスメラルダがカジモドを助けようとして失敗しますが、フィーバスが助けてくれました。
これは、
『情熱だけでなく、正義感(信念)が無ければ、人というのは脆い存在である。』と表現しているのではないでしょうか。
カジモドが、エスメラルダとフィーバスの手を重ね合わせ、2人の仲を受け入れたのは、情熱と正義感(信念)を持って生きると決めた、決意の現れだと思います。
最後に、大聖堂の前で、カジモドに子供が寄ってきて、カジモドにハグをして、大勢の人の中にカジモドを連れていくシーンがありますが、
子供=未来
この映画を通して、
人間の心の葛藤~決意を経て
未来に受け入れられた
(幸せな未来に向かって歩き出せる)
ということを表現しているのだという風に捉えられました。
以上が、私なりの、ノートルダムの鐘を見て感じた、考察になります。
冒頭でも書いた通り、様々な解釈ができる作品だと思うのですが、今の私の心にザワザワした感覚を植え付けた解釈をまとめてみました。
私個人が最近、人生の転換期というか、とても重要な時期にいる感覚が強いため、このような考察が妙に響いています。
情熱
正義感(信念)
合理主義
宗教観
一体どの意見が、
自分を救ってくれるのか、
自分が幸せになれる選択なのか
人間の永遠のテーマだと思いませんか?
映画のハッピーエンドな結末としては、情熱と正義感(信念)を選択しましたが、合理主義を捨てるって、現実的に考えると結構難しい選択じゃないですか。
けど、この
合理主義ではなく、
情熱と正義感(信念)に従うことで
人は幸せになれる
っていう意見はかなり真理だと思うんですよね。
そこに、『どう折り合いをつけるのか』っていう部分が、私たち一人一人の人生であり、テーマであり、注力すべきポイントなんだと思います。
前回の記事にも書きましたが、
ディズニーのノートルダムの鐘
と
原作である、ヴィクトル・ユゴーのノートルダム・ド・パリ
は若干ストーリーが異なります。
ヴィクトル・ユゴーが残した数々の名言に、私は非常に共感出来るんです。
だから、彼の考え方が、彼の書いた作品に顕著に現れていると感じるし、彼の考えはノートルダムの鐘(ディズニーの方)においても、しっかり表れているように思えます。
ヴィクトル・ユゴーの名言の1つに
People do not lack strength, they lack will.
(人は強さに欠けているのではない。意志を欠いているのだ。)
という言葉があるのですが、最近の私の考えと、物凄いシンパシーを感じていて、そのことも含めてノートルダムの鐘が私の心に刺さっています。
ディズニー映画ならではの、ミュージカル(しかも壮大な感じの音楽)なので、余計に私に響いているんだとも、思います。
日本で生きていて、滅多に聞くことの無い鐘の音色、讃美歌、パイプオルガン、などなどキリスト教(しかもカトリック)のイメージを表すような音楽が私の恐怖心を妙に刺激してくるんですよね。
比較的厳格な印象を受ける、カトリック、ゴシック様式の建物が舞台っていう部分も、もう、私は怖いです。
映画内の時代背景的に[とても高い建物]ということを表すために、[雲を突き抜ける位の物凄く高い棟]としてノートルダム大聖堂が描かれているんですけど、その感じも私にはとても不気味に見えます。
そういった部分も、全てひっくるめて芸術的な作品なので、見たことない方には見て貰いたい作品なんですけどね。
とにかく、私の心を激しく揺さぶる映画でした。
私だけでなく、時代の転換期にいる今、この映画が響く人が多いんじゃないかと思い、語ってみました。
ヴィクトル・ユゴーの心の迷いが作品に現れている
という風に私は捉えているのですが、その"心の迷い"に対して
『情熱と正義感(信念)を選ぶことが人間の幸せだ!』
と、ディズニーなりの答えを描いたような作品です。
この答え方は、凄くディズニーらしくて、夢のある(夢を持てる)結論だと思い、そういう点でも、"今、見直すべき作品"なのではないかと思います。
途中でも触れたように、人生で迷いが生じたとき、人それぞれ[何を選択するのか]という答えは異なると思います。
その選択に迷ったとき、[この映画を見て何を感じたか]をヒントにすることで、自分の意志が見える可能性を秘めている作品のようにも私は感じます。
だから過去にこの映画を見たことがある人も今一度見直してみると面白いのではないでしょうか。
激動のフランス革命時代と、今の時代、色々と通じるものがあるのかもしれませんね。
誰かの、何か新しい発見がありますように。
新しい時代が明るいものでありますように。
私も未来に選ばれますように。
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