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007|奇を衒うことない晴天と月の土曜日
宿からの景色を撮った一枚で、グラスの水面で反転して映ったことに驚いた。
知っている人からするとこれも当たり前かと、奇と常の違いが頭から離れない。
昼間に訪れた写真展の冒頭に見たインタビュー映像でその写真家は、
ただ、見てみたい場所を撮っていて
それは新しい場所を見つけに行っているわけではなく、
世界を見る新しい目を見つけていると語っていた。
最新の写真集は「世界」。
20年間撮りためた写真を並べたてみたら、
それはミクロでもマクロでもどちらの意味でも世界で、
その場所にとってはそこが世界で、それが集まったものも世界。
何も形容できなかったと。
・
写真展には久しぶりに温泉に行く道すがら、友人の要望で寄ることになった。
その写真家は数年前からバラエティでも特集されていて、
番組タイトルに付く「クレイジー」に引っ張られた編集もあり、
印象は「奇を衒っている」「サブカル写真家」。
何事も背景を知らずに評価することをサブカル好きと皮肉っていた自分が、
なんだか苦手だな。と、一番その写真家のことを理解せずに遠ざけていたことに情けなさが止まらない。
情けなさの相乗効果でこれまでにない集中力が舞い降り、
何を奇に感じるのか、そしてそこに映っている世界と自分の距離を考えながら、
中南米の迫力のある廃墟、中央アジアの発想の異なる住居、大陸の常軌を逸したホテル。
どの形容詞も私の常からの距離感で、当事者はもちろん常の真ん中にいると思うと考えもまた違ってくる。
中盤にはあまりに良く出来た展示に、例の番組は、テレビというものはなんて短絡的にばかり表現するんだろうと悔しささえ感じ出していた。
たっぷりの奇の後には伝統的なものから近代的なものまで「形容できない世界」が続いていて、
敢えて切り取られた一部分からその場の空気感や生活を思い浮かべ、
想像を膨らましても想像できないアメリカのあのエリアや火に集うあのイベント、
いろんな世界というか生活がある気がして、次はどこ?と止まらない。
インド
ウズベキスタン
いつか行ってみたい北の国
Moon
なんと。
それまでは地名と国名が併記されていたのに、いきなりの「Moon」。
世界を国に分けて地名をつけて理解してパーツを埋めていた脳に、
いきなりの「Moon」はいくらなんでもクールすぎて、刺激とかではなく衝撃だった。
さらにその後にまた私が理解している地名と国名がある世界に戻ってゆくのが憎すぎる。
なんて自分の思考は型にはめてばかりなんだろう。
だからってMoonは素敵すぎる。
2時間かけてここを体験しに来たのかもしれない。
・
実は冒頭のインタビュー映像、最後に見るべきものをうっかり最初に見てしまっていたことが功を奏したこともあり、逆というのも良いものだと思ってSNSに逆さまの1枚の写真をあげた。
誰も突っ込んでくれなかった。
その後も畳の横にベッドルームがあること、
大浴場の洗い場、露天風呂、みんなが夜景を見ながら食べる夕食。
どれもが誰かから見たら奇なんだろう。
これが新しい目かとばかり考える自分もまた奇に映るのかもしれない。
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