双極性障害とのうまい付き合い方を探る
気づいたら双極性障害だった
大学の休学と地獄の始まり
双極性障害と診断を受けたのは2020年、自身が大学生の頃です。
推しに貢ぎまくり、毎日血眼でアルバイトに明け暮れ、気づいたら身体が動かなくなりました。
生活能力をまるで失ったので、休学して療養することになったのですが、ここからがまぁ地獄で…。
止まらない希死念慮と自殺未遂
毎日『死にたい』しか考えることができず、リスカやOD、首吊りなど色々やってみよう!マインドになってしまう日々。
今思うと行動力がバリバリあったので完全に躁状態でしたね。
しかし優柔不断で勇気が全然ない私は『死ぬ』までには至りませんでした。
こうやって試行錯誤している時でも、外出できて友達や家族とちゃんとコミュニケーションは取れていました。
鬱転からの廃人化
大体9月下旬から徐々に鬱化していき、年末には天井しか見られない生活になりました。
ご飯も食べられず、お風呂にも入れず(お風呂キャンセル界隈のメンバーでした)、ただぼーーーーーーーっとして1日が終わる。
なーにやってんだろうと考えても身体が動かない。
季節が暖かくなるまでこんな感じで過ごしていました。
悪化の主な要因は家族だった
カウンセリングを受けて気づく
メンクリの主治医に「カウンセリング受けてみない?」と言われたことがきっかけで、実際にカウンセリングを受けました。
その結果、自身のストレスの大要因が家族にあることがわかりました。
ADHD持ちの母と、カルト宗教に染まりきった父が自分の中での一番のストレスだったみたいです。(そりゃそうか)
大学卒業と就労移行支援事業所
大学卒業後に就職するか迷ったのですが、自身の精神状態ではフルタイムの仕事は絶対に耐えられないと考えたので、就労移行支援事業所に通所することに決めました。
就労移行支援事業所ではWordでの文書作成やデータ入力、Excelの使い方などパソコン作業に慣れるための訓練をたくさん経験できました。
私がwebライターとして活動できているのは、間違いなく就労移行支援事業所での経験があったからです。
転機と回復
自身にとっての最良の選択
家族と離れたい思いと結婚がチラつく年齢になったことなど、様々な理由があり、結婚することにしました。
結婚と同時に猫を飼い始めてから、精神状態が徐々に良くなっていきました。
アニマルセラピーはすごい
毎日猫ちゃんを膝に抱えながら撫でるだけでも、私にとっては非常に効果的でした。
気持ちが鬱になったときは「私が動けなければ、この子は生きていけない…!」という気持ちになり、躁になったときは「無計画にお金を使うと、この子がご飯を食べられなくなる…!」と猫が私の躁鬱の波を穏やかにしてくれました。
全肯定してくれる人間は偉大
ウルトラ躁鬱時代から根気よく付き合い続けてくれた夫も心の支えとなりました。
非常に厳しい家庭で育ち、身を裂くような思いを多く経験してきた夫と一緒にゆったりと生活できているからこそ、今の自分がいるのだと常々実感しています。
気づきのきっかけ作り
薬は絶賛継続中
躁鬱の波が穏やかになりましたが、現在も変わらず薬を飲み続けています。
在宅ワークではあるものの、大きな波が来てしまうと自身が使い物にならなくなってしまいますので、しっかりと服薬しています。
自身が表面上まともであると思われてたいためにも、薬は継続していく予定です。
気持ちの揺らぎは日記で気づく
在宅で仕事を始めてから、ほぼ日手帳に自身の気持ちやその日の体調を記すようにしています。
その結果、気圧や生理で体調が著しく悪くなることや、トラウマのフラッシュバックが起こりやすいタイミング、パニックになる状況など様々なトリガーを可視化できました。
自身の体調が劇的に変化する前に頓服を飲んだり、あらかじめ休息を取るなど、自身ができる対策を行っています。
さいごに
これから私がもっとうまく双極性障害と付き合いながら生きられますように。
そしてここまで読んでくださったあなたに多くの幸せが訪れますように。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。
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