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窓から流れて

窓から見える景色は一つ一つ全部違って、まるで小さな美術館のようだと思った。
13時から15時。光が一番美しく植物にスポットライトを当ててくれる時間。講義中に席を立って輝く窓に飛び込みたくなる時間。窓の存在にこんなに惹き付けられることは今までなかった。なぜ急にこんなにも窓が気になるのか。秋のせいだろう。陽気な色に染まっていくキャンパスをふと眺めてしまう。窓が額縁になり、まるで絵画のよう。言葉にできないほど美しい世界に生きていることに足が浮き立つような心地になる。

北海道を旅行した際に訪れたステンドガラス美術館を思い出した。元は採光のためである存在の窓に色硝子で装飾され、光に照らされる姿に魅力された。古代ヨーロッパから脈々と受け継がれてきたステンドガラスを目の前に私は立ち尽くしてしまった。1枚のステンドガラスを作るにあたっての歴史や人々の生活に思いを馳せる。そんな楽しみ方をしていたら美術館を回るのに1時間も掛かってしまった。ステンドガラスは確かに美しいし、巧妙な硝子細工の技に驚いたのだが、人工的すぎる姿に私は唸ってしまう。

ステンドガラスと日本の窓は対処的だと思った。

仏教では「迷いの窓」と「悟りの窓」というものがあることをご存知だろうか。迷いの窓は⾓型の窓のことだ。角形は 「⼈間の⽣涯」を象徴し、⽣⽼病死の四苦⼋苦を表す。悟りの窓は円型。この円型は 「禅と円通」の⼼を表し、 円は⼤宇宙を表現している。そこから見える四季折々の景色は、はるか昔の人々も詩を咏いたくなるほど美しいものであろう。

つまり、日本の窓は外の景色があってはじめて完成するもの。ページをめくるように季節を感じられる日本ならではの文化なのだと思う。
光、色、デザインで歴史を表し、美しさを体現するヨーロッパのステンドガラスは勿論好き。
でも、自然と調和し、心に穏やかに流れ込んでくる景色、感情をうっとりと感じることのできる日本の窓はもっと好き。
そんな愛おしい気持ちで今も窓をみつめている。

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