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【靴の思い出帳】第1頁 不器用なキャップトウ
こんにちは。ながたつです。
唐突にあたらしいシリーズを始めました。その名も、靴の思い出帳。きっかけは、僕のやっているSNSと、noteはちょっと毛色が違うことです。
僕は現在、Instagramとmixi2、そしてnoteをやっています。前者2つでは靴と時計のことを主に発信しています。しかし、このnoteだけは、僕のうつ病との付き合い方や、その試行錯誤を書いたエッセイを書いています。
すると、Instagramやmixi2から来てくれた人は、
「思ったものとちがうね・・・」
となるはず。このギャップをなんとかしたい。そう思いました。そこで、このシリーズを書いてみよう。そういう魂胆です。
革靴それ自体ではなく、僕とのストーリーをまとめてみようと思ったのです。辛いときを支えてくれた革靴ですから、僕の「ものへの愛」と「こころとの付き合い」の間をとりもってくれると期待しています。
だから、靴のうんちくや、ブランドの歴史、そういう話はほとんどありません。靴自体を知りたい方にはあっていないと思います。あしからず。
さて、いま持っているドレスシューズは6足。つまり、このシリーズは全部で6回です。不定期更新ですがご容赦ください。気ままにストーリーを編んでいきますね。
キャップトウとは
第1回を飾ってくれるのは、革靴の王道とされているキャップトウ。キャップトウとは、靴のデザインのことです。ドレスシューズは、スニーカーと違い、デザインの名前や由来がはっきりと決まっています。
ということは、キャップトウという形を、様々なブランドが出している。この状況が成立します。同じようなデザインだからこそ、ブランドごとの違いを楽しめる。これがスニーカーとちがう楽しみ方かもしれません。
なるべくどのような方がご覧になっても、なんとなくの意味は分かるように適宜補足を入れていきます。逆にそんな補足はいらないという方は、補足部分部分を飛ばしてお読みください。
何度も手放そうとしたCHURCH'S Balmoral
普段、Instagramではブランド名やモデル名はハッシュタグで簡単に書いているのですが、ここではしっかりと明記します。私が持っているキャップトウはCHURCH'S(チャーチ)のBalmoral(バルモラル)です。
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この靴は、古いモデルでいま売っておりません。なぜ、そんな靴を履いているのか。きっかけは父でした。元々は父が古着で買ってきたものです。しかし、足に合わなかったよう。試しに僕が履いたらぴったりだったので、しれっと頂戴しました。
しかし、この靴はですね、正直何十回と手放そうとしました。とにかく使いづらいんですよ。どこで履けばいいの?って何回も戸惑った。
紳士靴のルールとキャップトウのあるべき姿
男性がビジネスやフォーマルシーンで着る服は、なにせルールが多い。スーツなら生地の色やサイズなど。革靴もデザインによって適切な場面がある程度決まっています。
キャップトウは、主に昼の儀式で履く靴です。たとえば、結婚式。夫婦になる誓いを神前でしますよね。つまり、きちんとやるべき場面で履く靴です。
あるいはお弔い。そのような場面には極力接したくないですが、そこでも履くにふさわしい靴はこのキャップトウ。これも故人を偲び、お別れを伝える、しっかりとするべき場面です。
平素の場面で言えば、ビジネスシーンでもキャップトウはバッチリ。特に営業のお仕事をされている方は、この靴を選ぶ人が多いのではないでしょうか。まとめると、キャップトウは「きちんとするべき場面で履く靴」。そのように僕は認識しています。
ちなみに、昼夜にかかわらず、礼装についてとてもきれいにまとめてくださっている記事があります。より理解を深めたい方は以下をご覧ください。僕もこちらの記事に立脚しています。
どうして手放したいの、どうして持ってるの
この靴。ちょっとだけクセがある。やったらと光るんですよ。ちょっと拭いただけでビカンビカン。それはそれはテリテリ。結婚式はまだいい。しかし、これはお弔いには履けないです。
革の表情はデニムに合うのに、形はスーツ向き。このチグハグ度合いが、1番強いです。どこで履くんだよ・・って独り言を何回もつぶやきました。しかし、そのモヤモヤが晴れるできごとが。
ある記事に出会います。僕が惹かれたのは、イギリスにはボロボロのTシャツとデニムにピカピカの靴を合わせている人がいるということ。それで、何かが切れたことを覚えています。せっかくなので、感銘を受けたところを引用しましょう。
たとえば、「ザ・フー」のバンドTシャツを着て、ボロボロのジーンズという出で立ちなのに、なぜか足元だけピカピカに磨かれたドレス靴を履いている人や(後略)
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それをきっかけに、もうなんでもいいやと思うようになったのです。だってかっこいいもん。そもそも、イギリスにはフーリガンをはじめ、労働者階級の人が上流階級のものを身につけて、「この文化はお前たちのものではない!」と言わんばかりのアンチテーゼを示すカルチャーがありますし。
本音とタテマエ、ルールと自分
ルールは必要です。社会にも、会社にも、家族や友人。もちろん、メンズファッションも。でも、それは然るべきところービジネスやフォーマルシーンーで守れば良いのであって、普段着はあまり気にしないことも大切と気付かされます。
いたずらに「ハズし」をすればいいのではなく、結果的にちょっと違ったかな?けどまあかっこいいからいいや。これもまたアリではないかと思うようになりました。
ためしにデニムにこの靴をあわせました。正直、かっこよかった。テリテリの革がミリタリーシューズのようで、いいものはいいんだなと素直になりました。
ルールはたいせつ、でも、自分をゆがめないで
強引だけど他のことに言えるよな、と思ったわけです。僕は会社のルールを破ること、ルールを徹底しきれないことを恐れて、自分を歪めて心身を壊しました。歴史や伝統は恐ろしい。なぜなら、そこにはあらゆる合理性があるから。でも、体を壊してまで遵守することもまた違う。
そんな時はルールを変えるか、逃げるか。このどちらかになるでしょう。ここで、逃げちゃダメと思う人もしれない。だた、お風呂に入れない、歯を磨けない、ベッドから動けない。そんな人が、会社をルールを企業文化を、社会を、世界を変えようとはしなくていい。そんなこと、してはダメ。
本音と建前を使って、好きなように過ごす時間を作らないと。キャップトウには「昼の儀式の正装」という本音・ルールがあるけれども、時にはデニムと合わせ好きにすることがあってもいい。ルールを知っているなら、たまには自分の素直に従いましょうよ。
それに気づいたいま、こうして手元に残っています。これからも、「んー」と言いながらも愛でるのでしょう。