大きなお世話は「悪」なのか? 今川焼で、知った「愛」
「ママも食べる?」
ある日、息子が冷凍の今川焼を出しながら聞いてきた。
どうやら、おやつに食べるらしい。
今川焼とは、いわゆる『たい焼き』のような食べ物で、地域によって呼び方が異なる。
大判焼きと呼んだり、回転焼きと呼んだり、兵庫の方では御座候(ござそうろう)なんて呼び方もあるようだ。
それはさておき、息子の呼びかけに私は「うん、ママも食べる」と答えた。
すると息子は、手慣れた様子で今川焼を電子レンジへ。
しばらくすると、お皿に盛られた今川焼が私の元へやってきた。
なんて内心ワクワクしていたら、ナイフを持った息子が再び私の元へやってきて……
と思ったのも束の間、なんと息子は私の今川焼を真っ二つに切ったのだ。
「なんで切ったの? 食べやすいから?」
「ふふっ、じゃあね」
そう言うと、息子は自分の部屋へと戻っていった。
ふと、息子がなぜ私の今川焼を切ったのか、想像してみた。
きっと、何度も食べてるうちに「最初から切っておいた方が食べやすい」と息子は気付いたのだろう。
そして自分の今川焼を切った後、
「そうだ、ママのも切っといてやろう!」
そんな風に思ったんじゃないかな。
そしたら急に、真っ二つになった今川焼から愛が滲み出てるような気がしてきた。
母親だからこそ、大切にしたかったこと
本来なら、たとえそれが優しさからの行動であっても「人の食べ物を勝手に切っちゃダメだよ」と教えるべきなのだと思う。
このまま何も言わなければ、いつか息子は誰かに同じことをしてしまうかもしれない。
だから私は母親としてそれを伝えなければいけないし、伝えないという選択肢は私の中にも当然、ない。
だけど…
そう思った。
だって、うれしかったから。
息子が「きっとママは喜んでくれる」と思って、やってくれたことだから。
それを「しちゃいけないことなんだよ」だなんて…なんか、すごくもったいない気がした。
だから「どう伝えるか」は、また考えるとして。
とりあえずこの日は、この息子の想いを今川焼と共に頂くことにした。
そして私は、こうも思った。
確かに息子の行いは『小さな親切、大きなお世話』だったのだと思う。
でもこの『大きなお世話』を『大きな愛』だと感じる相手は、きっといる。
息子には、そんな人と巡り合ってほしい。
「勝手に切らないでよ!」じゃなく「ありがとう」と言ってくれる人。
「あぁ、私のためにしてくれたんだなぁ」と思ってくれる人。
そんな人と共に生きてくれたら、私も幸せだなぁ。
そんな風に思いながら、今川焼を食べ始めた。
と、その時──。ふと疑問が浮かんだ。
…………。
まぁいっか(笑)
後日談:
息子がまたおやつに今川焼を食べようとしてたから「今日は半分に切らないの?」と聞いてみた。
そしたら「アレは熱々の時だけ」とのこと。
やっぱり意味があったらしい(笑)
そしてあの時も、きっと自分のを先に切っていたんだと思う。
ママのも切って冷ましてくれようとしたんだね。
ありがとう🥰
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