無観客試合の楽しみ方
サポーターとの共感をどう作り出すか?
無観客試合になった時に一番の問題は試合を通じてサポーターと喜怒哀楽をどう共有していくか、ということだと思います。
クラブとしては苦い過去になりますが、2014年に無観客試合を経験しております。
清水のアフシン・ゴトビ監督「誰もいないスタジアムには魂が欠けていると感じた」
僕自身はこの時は浦和レッズの選手ではなかったですが、試合をした選手たちは異様な雰囲気だったと言っていました。
選手は、口々にサポーターの存在の大きさを口にしました。ゴトビ監督は魂が欠けていると感じた。とまで言いました。
やはり試合をしているとサポーターの声援は力になりますし、サポーターの熱烈な応援を目の当たりにするとピッチの上でも、込み上げてくるものがあります。
ACLの決勝は特にサポーターの熱量がすごすぎて、ピッチへの階段を登っているときに、涙が出そうになって、「ここで泣いてしまったら試合にならないだろう!」と自分に言い聞かせていたことを思い出します。
選手は無観客試合のスタジアムでは目には映らない背中を支えてくれているサポーターの存在を、ピッチで感じることが大切だと思います。
選手は、そのために試合再開までの期間を、多くのサポーターとインスタライブで繋がること。さいたまの子供達とZOOMで会って話すこと。このリアルに人と繋がれない今だからこそ支え合っているサポーターや地域の人とデジタルで繋がる機会にするべきだと思います。
埼玉の自宅で運動不足の子供達をチームの合同WEBトレーニングに招待しても面白いかもしれません。最近は練習でダンスなんかも取り入れて、筋トレやサーキットの後に、みんなで踊りまくっているので。笑
リアルな声の代償
この状況は選手・サポーター双方にとって苦しい状況ですが、そこに活路を見出すとしたら、それは選手のリアルな声かもしれません。
選手たちは本気で熱くなって戦っています。だからこそ本来、冷静なら言わないようなことを口走ってしまうこともあるかもしれません。これを拾われてしまうというリスクは無観客試合では大いにあると思います。
しかしこれはサッカーに限ったことではありません。
テニスは紳士のスポーツと言われていますが、審判への抗議はある意味注目の的でもあります。
セリーナ・ウィリアムズ選手は大坂なおみ選手との全米OP決勝戦で主審に対して「うそつき」や「泥棒」と呼ぶなどし、違反行為として1万7000ドル(約189万円)の罰金を科されています。審判に駆け寄る迫力から勝負に賭ける熱い想いがひしひしと伝わってきますよね。
ニック・キリオス選手は審判への暴言をはじめとした違反行為で1試合で1200万円もの罰金を科されています。こんな額の罰金がきたらテニスやめたくなりそう。この破天荒ぶりがキリオス選手の人気の理由でもあるのですが。
選手の発言は、当然注目を浴びますし責任が問われます。審判への暴言は決していいとは思いません!
でも観客は選手のプレーに加え、選手の感情も観たいはずです。それもコンテンツだと思います。
無観客試合だからこその声
サッカーの試合をしていると、チームの状況、雰囲気が選手の声から分かることがよくあります。実際に試合していて選手同士で
「2m先に速いパスを出してくれ!」
と声を掛け合っているのをみると、なるほど。そこを狙っているんだ。ということが分かりますし、相手選手同士でネガティヴなミスを指摘しあっているところをみると、うまくいっていないことがよくわかります。
サッカーは戦うスポーツなので、選手同士の対立は当たり前です。言い合いもあります。サポーターの皆さんと同じように審判の判断に不服な時は駆け寄って抗議します。ベンチに座っているチームスタッフも審判に駆け寄ることもあります。それこそがサッカーだと思いますし、その局面ごとに負けられない戦いがあるのです。
野球の無観客試合ではこんなことがありました。
「普段の試合では、歓声で相手チームのベンチの声は聞こえないのですが、無観客だとよく聞こえますよね。(paypayドームの)ソフトバンクとの試合では、松田(宣浩)さんはあんなに声を出すんだと知りました。そのことでチームの雰囲気やカラーみたいなものを知ることができました。
リアルな声。
試合中に槙野選手がいかに仲間を鼓舞してチームを引っ張っているか。辛いときに声を出してチームを鼓舞できる選手が後ろにいるって本当に選手としては心強いです。1対1で負けない強さやプレーはもちろんですが、こういった部分にプレーからは読み取れない選手としての大切な価値はあるのかもしれません。
阿部選手の存在、またプレーの合間に仲間たちへの声掛けからいかにしてゲームをコントロールしているか。川崎の中村憲剛選手や鹿島の小笠原満男選手のような存在は選手たちに規律を生むと言いますか、存在自体がまさにチームのフィロソフィーであり、象徴である気がします。そういった選手の声はまた特別なものがあります。僕が名前を出すこと自体恐れ多いですが。。
こういったプレー以外の部分も含めてチームを引っ張っていける選手にならなきゃいけないと感じます。そう考えると、選手として先輩方に本当に恵まれていると感じます。特に後輩であったときは先輩の背中をみて育ってきたので、そろそろ自分が後輩たちの手本になっていかなければと思います。
近くでプレーすると選手としては本当に勉強になりますが、大声援の中ではサポーターのみなさんの耳まで届かない声かもしれません。
しかしこの無観客試合は、こういった試合を左右する細かいディテールにこだわったリアルな声を聞くことができる大チャンスかもしれません。
選手からすると、無観客試合は「こんなに声が筒抜けになるなら...」という気持ちになってしまうくらいの静けさになるかもしれませんが
自分たちの声こそがコンテンツという自覚の元、今まで以上に熱いコミュニケーションをしてほしいものです。
無観客試合の課題
スポーツを観ることと、応援することは同じに考えられがちですが僕は全然違うことだと思います。
応援する人たち、つまりサポーターは12番目のプレーヤーと言われるほどクラブや選手にとって身近な存在。ファンともちょっと違うと思います。
恐らくサポーターの皆さんはスタジアムにサッカーを観に来ている訳ではなく僕らと一緒に戦いに来てくださっています。
僕がドイツでプレーしたFCケルンだと1948年に設立されたクラブなので、ケルンとともに人生を歩んできたようなサポーターもたくさんいました。
ケルンはブンデスリーガ初代王者てあるというプライドがあったり、日本人プンデスリーガーのパイオニアである奥寺さんが活躍された実績もありケルンサポの日本人選手に対するリスペクトや期待も特別なものでした。
そうなるともう選手はクラブの歴史の中のほんの一幕にしか過ぎないです。
ドイツ2部で優勝できた時に「ケルンサポを1部に連れていってあげられる」という達成感がありました。
実際優勝した翌日は街中で色んな人から「ケルンを1部に連れていってくれてありがとう」的な言葉をいただきました。一方、日本だと「優勝おめでとう」と言われることが多かったので不思議な気持ちでした。
つまりサポーターが主役であり僕たち選手は脇役というか、彼らの期待に応えることが僕たち選手の役目だとケルンでつくづく思いました。
Jリーグ開幕から約30年。開幕から浦和サポの方もいるのではないかと思います。日本も既にドイツと近しい状況にあると思っています。
そういうサポーターのこと考えたら無観客試合になった時に画面越しでしか観ることしかできない状況は、一緒に戦う方法としては物足りなさが残るのではないかと思っています。
今この時点で具体的な代案は思いつかないので、これからみんなで考えていきたいですね。サポーターの皆さんは無観客試合をどう戦おうとされているのでしょうか。。
ブンデスリーガが5月15日週か22日週に無観客試合での再開が決まったようです。どのような雰囲気でプレーや放送がされるのか、サポーターはどのような形で応援するのか楽しみです。