「うちの子、家庭学習してくれない!!」と思ったら読む記事(1/2)
北海道では突然の休校が実際に始まって、仕事の都合など、保護者の方が慌てて対応している人も多いかと思いんじゃないだろうか。
ましてや、休校の要請は総理から全国的に波及し、噂が噂を呼んでいる状況に対し、今日の時点では議論が現場まで降りてきていないこともあって、教育の現場は相当な混乱があることは察しがつく。
今後、休校がどこまで長期化するのわからないけど、政府や学校に対して文句を言っても建設的ではない。
我々、庶民の親ができる事は、休みの埋め合わせをすべく、子ども達の家庭学習を支援することだろう。
親が考える家庭学習
まず、子どもの家庭学習にたいして大人側がイメージしている正直なところを上げてみよう。
そもそも家庭学習とは、子ども本人がやるべき事である。
できれば、課題は自分で見つけるべきである。
解答を見て、ドリルの丸付けくらいは、親がしてあげるべきである。
この「べきである」論は、なかなか曲者で、「そうなれば理想、でも実際はできないよね」くらいの感覚になっていないだろうか。
僕は、自分の子どもを信用してないわけじゃなくて、小学生ではそれは、無理ゲーだし理想でもないと考えている。
「自発的な取り組み」とか「主体的な学習」とか、そういう言葉って学校のお便りによく書いてある。でも、それって、自分のコントロールと自己分析が、かなりのレベルに達している子じゃないとできないと思う。
大人の場合を考えて欲しい。
会社の商品、営業ルート、生産ライン、いろいろな土台があって、自分の仕事をしている。
たとえば、あなたが1人でベンチャー起業を立ち上げたとして、売るものもやることも、何一つ決まっていない状況だとしよう。
会社の利益のために、社会貢献のために、さあ今すぐ課題を見つけなければ、今月の収入はゼロ円だとしたら、果たして今月中に利益を出す会社にできるだろうか。
小学生に自発的な家庭学習をいきなり押しつけるのはそういうことだ。
子どもが考える家庭学習
この記事を読んでいる人は、現在は親の立場の年齢に近いと思うが、自分が子どもだった時代も間違いなくあったはず。
家庭学習に対してどう思っていたのか、ちょっと、昔の心境を思い出してみようじゃないか。
あんまり深く考えていない。
とりあえず、面倒くさい。
できれば避けたい。
多少の差異はあれど、概ねそんなところじゃないだろうか。
学習内容とか、取り組み方などという崇高なことは考えていない。
特に、子どもの成長過程で言うと、年齢が低いほど、「快・不快」が行動の理由になることが多い。
要するに、気持ちいこと、楽なこと、楽しいこと等は喜んでやりたがるが、辛いこと、疲れること、気分が悪いこと等からは逃げようとする。
個人差はあるので、一概には言えないが、1本線を引くとしたら10歳というのは、児童心理学の世界でもよく言われている。
幼少期の人間形成に良い土台ができれば、小学校高学年頃から、徐々に「快・不快」以外の要素が重みを増してくる。
つまり、「辛いけど頑張ろう」「やりたくないけど、やった方がいい」という心理が芽生えてくる。
ただしそれは、自分で勉強することに「快」の要素を見いだせている場合だ。大人になっても、わからず終いという人も沢山いる。
この辺りに、「うちの子はどうして勉強してくれないの?」の答えが見えてくる。
後半へ続く。
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