長野に移住して実際どんな暮らししてるの?移住と幸福の話
長野に移住してきてあと1ヶ月で丸1年が経とうとしている。
移住生活を振り返りつつ、地方で暮らしている私は以前より少しでも幸せになれているのだろうかとこの記事を書くことで客観視してみたい。
新たな幸せのカタチを模索している人にもぜひ読んでみてほしい。
居住環境は毎日別荘に泊っている感覚
都会のように家が密集しているわけではないため、非常に静か。日中はたまーに車が家の前を通ったり、小学生がペラペラお喋りしながら登下校しているのを見かける。夜は出歩く人もおらず早めに帰宅し家族と過ごす。ここ長野に引っ越してきたとき、まるでアメリカにいるかのような錯覚になったのを覚えている。シーンと静まり返る夜は心も身体も休まる至福の時間。夜ヨガをやったり本を読んだり考え事をしながら眠りにつく。(テレビを持っていないのもあるけど)無音空間って、最高。
食生活は農家の野菜でウマい居酒屋飯を作る
とにかく野菜が美味しい。そして野菜がツルツルピカピカしていて美しい。ピーマンにしろナスにしろ身がしっかりしていて崩れない、腐らない、味が濃い。特にピーマンにはかなりハマる。こんな苦みの強いピーマンを食べてしまった日には…。スーパーには都会と同じように野菜がたくさん並ぶが、農家さんが毎朝収穫した野菜を並べに(売り出しに)きている直売コーナーがある。長野にきたらぜひスーパーで個人農家の野菜を買って食べてみてほしい。そんなこんなで、素晴らしい食材を使ってウマいご飯を自炊するのが我が家の基本。人が生きる上で根源的な幸せが「食べる」ことだと思うが、こんなにも食べることに楽しさと幸福を感じられるのは長野にいるからこそだと思っている。「食べる」ことは「生きる」こと。食は生きる源だ。
娯楽は雄大な自然に囲まれて何もしないこと
(衣)食住ときたら、残すは娯楽はどうなのか。はい、娯楽は山しかない長野の雄大な自然を堪能することです!長野の自然は本当に凄い。ザ・自然。移住初日、新幹線から在来線に乗り換えて最寄り駅に降り立ったときにそびえたつ山には恐ろしささえ感じるほどだった。「こわっ!」みたいな。これ夜絶対暗闇やんって(本当に夜は漆黒の闇)。長野は標高もある程度高く、空気も澄んでいて、とにかく豊かな自然がそこかしこにある。移住前は関東では高尾山や日光白根山に登っていたが、その感覚や想像を遥かに超えてくる。山も森も広くでかく深い。花や湿原、川、虫、、、どんだけ自然の宝庫なんだ。長野の山や森に行くようになってから、地球に生きている実感を持つようになった。山や森に入るとまるで大地と繋がっているような。都会ではあまり感じることのできない、私たちは自然に生かされ自然と共に生きているんだという手触り感。見ているだけで、感じるだけで、充足感を満たしてくれる自然がここにはある。正直、今まで手に入れてきたもの(金・キャリア・ポジション・資格なんぞ)なーんにもいらないじゃんって思えるほど。生きてるだけで上出来じゃんって思えるほど。最高に贅沢な休日を過ごしている。
半農半Xと面倒くさい・非効率・時間くう
土地・畑がたくさんあるから、農園を借りて畑をはじめることができる。企業に勤めながら自給自足もやってみたい。あのウマい野菜を自分の手で作ってみたい。物価高、輸入、気候変動による食糧難に左右されずに生きていきたい。半農半X(半分農業、半分その他の労働)は意外にも簡単にすんなりと始まった。農業が盛んな県とあって、市役所や県のサポートが手厚い。農業に関して頼れるところが普通にある。隣の畑のお父さん・お母さんもいっつも私たちを見かねて農具貸してくれるしね。早朝や夕方に畑に行ってリモートワークで鈍った体を引き締める。健康にもいいし地域コミュニティとの絆もできる。農作業をしていると通りかかるご近所さんに話しかけられ、この地に馴染んできた、仲間入りできたと温かさを感じられる。それもまた、他者に認められるというある種の幸福だ。
長野といっても、まー、都会に比べたら店やコンビニがたくさんあるわけではないし、大きな書店やカフェも少ない。基本的に車を出さないとだし。というわけで、なにをするにも面倒くさい・非効率・時間くうの三拍子だと思う。でも慣れたらこれが普通。むしろ面倒くさく非効率で時間くうくらいのほうが、そのプロセスを味わえて楽しかったりする。効率的で省エネ、時短だとなんかすぐ終わっちゃってつまらないじゃん。面倒くさい・非効率・時間くうからゆったりした時の流れのなかで生きられているのかもしれない。いままでのせかせかと急いでいたあれは一体なんだったんだ。東京時間。
幸せを感じるのはそんなに難しくない
幸せになろうなろうと必死で生きて、仕事して、子育てして、遊んで、、、って幸せを掴んでいくのが世の常だと思っていたけれど、実際やってみたらそんなことなかった。幸せはがむしゃらに頑張らなくても感じられるものだってことが分かった。「生きる」ことそのものに丁寧に向き合って生きていれば誰でも幸福になれるんじゃないかな。そんなことに気づいた移住と幸福の話でした。