あきらめることとやめることで人生を存分に楽しむ道筋ができる
諦めがよく、スパッと物事(や人間関係)をやめてきた20代の自分はどこへ行った?
ここ最近、仕事で上手くいかないことが増えてきた。成果を出そうにも出せない。なぜだ…
スキルや技術力が不足している?
社内での人間関係がよくない?
自分のやる気(モチベーション)がない?
上手くいかない原因をいろいろと考えてみた。悩んだときの必殺技のごとくいつものように大量の本も読んでみた。
あきらめが悪いと上手くいかなくなる
社会人経験を積めば積むほど、日本社会に飲み込まれていく。いつの間にか私は、すぐにあきらめ・やめ・新しいことを始める自分独自のスタイル(生き方)を見失っていた。
ダメだ、納得がいかない、ついていけない、従えない、やりたくない、賛同できない、と思ったらすぐに物事をやめてきた。はたから見たら、諦めたりやめたりすることは「根性がない」と思われるだろう。そんな世間体や職歴に傷がつくかもしれないなんてことも一ミリも考えずにとにかくやめてきた。自分の本心と違うことを続けていくことができない単純な性格で。
そんな私は社会人経験を積みながら、こんなことを学んでいく。
企業に勤めていれば自分の理想と違うことがたくさんある(自分の会社ではなく人の会社だから)
企業成長には時間がかかる(自分がスキルを高めたところでチーム戦であることに変わりはない)
企業に勤めていると昇格や昇進を目指さざるを得ない(望んでいない挑戦的タスクを課せられる)
そんな社会に居たもんだから、気づいたら、「忍耐力」が身についてしまったようだ。我慢するのが普通になっていた。途中であきらめてしまっては成果を残せない。そういう思考に囚われてしまった。
それで実際どうだったのか?
何もかもが上手くいかなくなってきた。成果が残せない。自分の頭は反発しているのに身体は頑張って会社の言うことを聞こうとしている。
あきらめがいいこととやめる決断力がほぼ取り柄だったのに、その重要な「やめる」というカードを持っていることすら忘れていた。
やめることで必然的にほかの道が現れる
仕事が上手くいかない状態のまま「やめる」という選択肢も忘れ去っていたとき、私はその道をもっと全速力で駆け上がろうと必死になった。
それまで作ってきた道を無駄にせず、手放さず、頑張ればその道がもっと先まで続いていくと思っていたからだ。
でも努力してみても、上手くはいかなかった。
それもそう、その道は私に向いていないから。職種や上司、働く環境、働き方すべてひっくるめて向いていない。なぜ向いていないと自覚できるのかは、物事が上手くいっていないから。
このまま「やめ」ずに続けることで私が成功することはないだろう。
私は「やめる」という自分のなかで最も強いカードを再び引っ張り出してきた。いまこのカードを使わないと私は真っ暗闇の道を歩き続けて終いには迷子になってしまう。そう思った。
やめる!
とパートナーに宣誓し、次やることもどうしようかな~と軽い気持ちで数週間過ごした。
どうしようかな~と軽い気持ちでいたものの、「やめる」と心に誓ったことで、新しい何かを始めたいとワクワクドキドキ、いろんなアイディアが湧いてきた。
映像制作をしてみたい
創作和食を作ってみたい
数日間のロングトレイルをやってみたい
感動体験をつくる人になりたい
できるかできないかはさておき、「やめる」ことで今とは別の場所へ行けるかもしれないという希望が生まれた。そして、私は今とは異なる別の場所で別のことに挑戦してみたいのかもしれないと自分の心を客観的に眺めているようだった。
箱が空けばその箱は埋まるようになっている
そんな折に、移住してきた長野県のこの地で素晴らしい出会いがあった。ずっと降り続いていた雨が止み、突然晴れ間がさしてきたような感覚だった。
この曇りがかった数年間、感じることのなかった本気の「私これやりたい」。心を揺り動かすそういうものや人に出会えた奇跡。運。タイミング。
自分の信念や強みを発揮できる環境やそれを受け入れてくれる心の器がある人たち、そして何より、久々に前のめりになっている自分がいる。
この状況を私は「やめる」ことと「運」によって自然に空箱が埋まったと捉えている。大体の物事は偶然に始まることが多い。その自然な流れに逆らわずに身を任せてみよう。
苦しみに時間を費やさず、人生を存分に楽しむために、私は積極的にあきらめ、やめていく。
またやめられなくなったときにこの本に戻ってこよう。