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晴れの日も雨の日も#284 楽

「楽(らく)」と書いて「楽しい」と読むのは、どういうことなん?と思うことがある。
そりゃしんどいよりは楽な方がいいのだろうが、楽なら楽しいか、というとそうは限らない。そもそも「楽をしてると罪悪感を感じる」なんて人も中にはいそうだし。

ちなみに、楽という字を角川新字源で見てみると、「木に糸を張ったさま」をあらわし、弦楽器が語源だとか。そこから音楽になり、「楽しむ」につながったらしい。「たやすい」という意味も記載されているが、なぜ「楽しむ」が「たやすい」につながったのかはわからなかった。

たぶん、人間は楽をしたい生き物なのだろう。
ほかの動物は、ダーウィンの進化論のようなことを除くと、ずっと代々同じ生き方を続けている。同じようなところに住み同じようなものを食べ同じように子孫を残す。
人間は違う。豊かで便利な暮らしを追求してきた。今の暮らしがそこそこ豊かで便、もっと豊かで便利に、より簡単に楽に手に入れることを求めてきた。
たとえば「おしん」に代表されるような過酷な生活をしていた人たちにとっては、楽をすることは生活を楽しむゆとりを生むものだったのだろう。そう考えると「楽」が「楽しむ」につながることも理解できるような気もする。

仕事でいうと、楽をするというのは、望ましい省力化・業務改善のほかに手抜きなどのマイナスイメージもありそうだ。
「生きる」ということで考えるならば、肩ひじはらずに楽に生きていくことはいいことだろう。
一方で、家族にしろ友人にしろ人間関係という意味では、丁寧にこまやかに関係を紡いでいくことが望ましい。そういう手間暇をめんどくさがって楽をするとあまりいい結果にならない。
楽をするということは悪いことではないのだが、いろんな局面でバランスが必要なのかもしれない。

これが「楽しむ」になるともうひとつ複雑さが増す。
ネットで「大根とかぶ」という記事があった。大根とかぶ、どっちの収穫作業を畑でしたいかと聞くと、子供たちは大根を選ぶという。難しそうだが大きな成果品が得られておもしろいというのだ。大人たちは簡単そうなかぶを選び、さらには「どうやって収穫したらいいのですか」と不自由な質問をする人が多いという。難しいことの方がその後に達成感や充実感を味わえること、それが実は楽しいのだということをこの話は表しており、含蓄の深い話だと思う。
多少大げさに言うなら、「楽」は心の中では虚しさにつながり、苦しくてもその先に夢や希望をもってチャレンジしていくこと、そのチャレンジの過程そのものを「楽しむ」ことが本当の豊かな人生につながるという面があるのだろう。

さらには、「楽しい」と「楽しむ」も少し異なるような気が私はしている。
遊びに行く人に「楽しんできてね」と声をかけるのは日常的な風景だが、意図的意識的に「楽しみ」を作りに行っているようにも聞こえ、若干違和感を感じている。「楽しい」というのはもっと自然な心の動きで、「楽しもう」なんて思う前にもうすでに楽しいという感じこそ本当の「楽しい」ではないかと思う。
上記のチャレンジや仕事、意志的にやることについては「楽しむ」という主体的な動きがあってもいいように思うが、好きで遊びに行くのを「楽しむ」となると、「せっかく行くのに楽しまなソン」みたいな感じが垣間見えるようで、そーなんかなー。。という気がほんの少ししている。

雨上がり青空の下の氏神さま松尾神社。こうやって写真に撮ると全然冴えんなー😅

今日も最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました♬ 長井 克之

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