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晴れの日も雨の日も#324 原点

人生の年輪を重ねていくと、自分の思い通りにならないことをたくさん経験する。簡単に始末がつかないことにも直面していき、結果、いろいろ背負っていくものが増えていく。いつの間にかしがらみみたいなものにがんじがらめになることもあるし、気がつけば、擦っても擦っても落ちない人生のアカが体中にこびりついているような感じになったりする。
これが進みすぎると、未来への希望を持ち続けることが難しくなってくる。一種のあきらめに支配される感じが見え隠れし始める。

何の苦労もなかった、まだ真っ白な子どもの頃には、溌剌・天真爛漫・自由闊達といった言葉が服を着て歩いているようだったのに、そんな風にしてその対局の大人になってしまうのは、実にさびしい。もったいない。残念だ。「もうあの頃の自分とは違うし」という言葉で片付けてしまうのはまだ早い。人生はまだまだ終わっていないゾと声をかけてあげたくなる。

出会った頃の二人に 
もう一度戻ってみよう
そして二人手をつなぎ
幸せになろうよ

「しあわせになろうよ」

と歌うのは長渕剛だ。
この歌は男女の仲を歌ったものだと思うが、「もう一度戻れる」原点を見失わないことの重要性は男女のことに限らない。

だってあの時輝いていたのは夢でも幻でもない。時間が経って多少色褪せたように見えるかもしれないが、間違いなく厳然と存在していた時間なのだ。あの自分と、今の年輪を重ねた後の自分は別人ではない。そこは断絶もしていない。たとえ見えづらくとも、たとえ細くとも、確実に一本の糸でつながっている。

「そうだ、私はもともとこんな人だったんだ」と思い出すために、その頃の場所に立ってみるのは効果があるのではないだろうか。まさに「原点に戻る」を地で行ってみようというわけだ。
そんなことをしても今の現実が変わるわけではない。思い出すとかえってしんどいだけだ、なんてこともあるかもしれない。過酷な現実に対して無用な希望を持たずに、ある種心を麻痺させて、淡々と日々を重ねていく方が楽かもしれない。
が、ホンマにそれでええんか?それがあなたの望む人生なんか?と問いたくなる。今はしんどい日常の前にエンスト状態かもしれないが、原点に立ち返れば、再び勇気と元気が蘇り、エンジンが動き始めるのではないか。「今」に疲れている人に、そんな原点を見させてあげれたらなあ、と思っている。


(ここまで本文970文字)

羽を広げ舞立たんとする鳳凰

今日も最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました♬ 長井 克之

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(つづく)

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