晴れの日も雨の日も#321 自己実現
私は、働くということは単に給料をもらうということだけではなく、仕事を通じて自己実現を図っていくのだ、と教わったような気がしている。
「気がする」というのは、はっきり明確にもしくはそういう言語化された形で教わったわけではなく、いろんな人と話をしたり、自分の経験を通じてそう感じていったという意味だ。これは、たぶん私に限らず、昭和のオトコたちは大なり小なりそういう感じの人が多いのではないか。
一方、仕事は自己実現の場だなんて言っているのは日本人だけだ、という記事もネットで見かけた。「え、そうなん?」という気持ちと「まあ、そうなんだろうな」という気持ちが交錯する思いでこの記事を読んだ。
が、今本稿を書きながら改めて考えてみると「いや、ほんまにそうか?」という気持ちも湧いてきている。たとえばスティーブ・ジョブズとかイーロン・マスクとかグレートビジネスマンたちが、自らの金儲けのためだけにビジネスに取り組んでいるとは思えない。自分のビジネスをより大きくすること、より多くの人に受け入れてもらうことが自己実現と重なっているのだろうと思う。
マズローの欲求5段階説で最高位の欲求と位置づけられる「自己実現の欲求」は、生理的欲求、安全の欲求、社会的欲求、承認欲求が満たされたあとに至るものだとしている。ゆるゆるのコーちゃんは、社会的欲求や承認欲求も含めて自己実現欲求と呼んでもいいような気がしている。周りとの関係性の中で自分が満足できる自分を探していくというふうに捉えれば、この拡大解釈もあながち荒唐無稽ではないのではと思ったりしている。
もちろん、自己実現の場は仕事だけではない。すごく大事にしている趣味の世界があって、そこにいる時こそホントの自分に戻れる、なんて人もいるだろう。無趣味のコーちゃんにはむしろ羨ましい話だ。あるいは子育てに全力投球していて、家族との時間こそ一番大事で、自分らしくかつ満足できる時間だ、というのもスバラシイと思う。そういう「ここが自分の場」というものを持っている人は自己実現と近いところにいて、それこそが幸せへの近道なのだろう。
仕事もそこそこ、家庭もそこそこ、友達もそこそこ、で、何不自由なく暮らしている、というのは平和でいい。ただし、本人が心の底からそういう人生に満足していれば、という話だ。表向きは何の不満も問題もないように見えながら、実は本人はイマイチつまらんなあと思っているなんてことも世間には少なくないのではないか。
魂が躍動するような思いが欲しいとするなら、それがないと「生きてる実感」がないと考えるのなら、本当の自分探しの旅に出ることを厭っている場合ではないのだろう。全てを投げ売って、などという足のすくむようなことをやりなはれ、という気は毛頭ないのだが、まずできる範囲で今の日常を変えてみる、ということぐらいはやってみてもいいかもしれない。
何かを変えたら何かが始まる。
違うな?と思ったら戻ればいい。そんなことから自分探しの旅は始まるということも多いような気がする。
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今日も最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました♬ 長井 克之
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(つづく)