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晴れの日も雨の日も#340 理由
直面した事態を受け入れられずに、なんでこんなことになったんだ?とか、何なんやこれは?と言いたくなることがしばしば起きる。英語にすれはWhy? あるいはWhat?ということだろう。
最初は「何が」起きたのかわからず、What?から始まる。が、そんなことを聞いても、起きた事実そのものは変わらない。事実をそのまま認識するしかない。
で、その次にWhy?となる。認識はしたが納得はしていない。納得するためには理由が欲しい、というわけだ。
しかし、納得するのに理由が本当に必要なのか、理由がわかれば納得できるのか、というのは実はアヤシイ。理由がわかれば頭では理解できるが、それで納得できれば苦労はない。心はまた別なのだ。心の問題が解決しなければ本当の納得は得られない。
なんて、しちめんどくさいことを考えたのは「千夜、一夜」という映画を見たことがきっかけだ。失踪者(拉致被害者?)やそれを待つ人のドラマだ。
失踪した夫・安藤政信を待つ妻・尾野真千子は、夫の失踪の理由がわからず、待つか諦めるか苦慮を続ける。「失踪した」という事実そのものはそのまま認識しているが、「理由」がないと「ずっと待つ」のか「諦めて次の人生へ向かう」のか、選択ができないと言う。
たとえば、自分のことがイヤで自ら出ていったのなら後者の決断ができるし、事件に巻き込まれて帰りたいけど帰れないということなら、せめて自分だけでも待っててあげたいと言う。
ふむふむ。なるほど。
が。
決めるのは自分の心だ、という思いが私の中に起きた。
理由がなくても、自分の心のままに決めればいい。
「待ちたい」と「待たなければいけない」は異なる。大事なのは待ち「たい」かどうかではないか。理由は後者に必要なものであり、前者は自分の心のあり方の問題だ。それは自分の中にあるものであり、自分の外に「理由」を求めるのは、気持ちはわかるが、さてどうなのか。
同じようなことは実は私達の日常にもたくさん転がっている。
たとえば、今起きていることの理由や原因を過去に求めること。
そんなことを一生懸命考えても、今直面している事実は変わらない。大事なことは今ここから未来に向かって何を選択するか、だ。それは理由や原因がわからなくてもできることだ。さらには一生懸命探した理由や原因が本当に正しいのかも甚だアヤシイ。
イヤなことは二度と起きてほしくない。だから再発防止は必要だ。そのためには起きてしまったことの原因をしっかり探求することが重要だ。企業社会では、「なぜなぜ運動」などにより原因を掘り下げ、ミスの撲滅・業務の改善を図る。
その際も、出発点は「起きてしまったことをどう呑み込むか」だ。再発防止に取り組むのに、イヤだなあという気持ちにとらわれたままのか、ここから何を学ぶのかという気持ちに切り替えるのか、この差は大きい。
また、今の自分の状態について過去に原因を求めるのも、ホントにそうなのか結構アヤシイ。さらには、わかってもどうしようもない。過去も今も変えられないし、トラウマというのは自分で作り出した幻影だったりする。
一人で考えていると、そういう堂々巡りから抜け出せない。だからカウンセラーやコーちゃんのような仕事があるのだと思う。
(ここまで本文1,317文字)
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今日も最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました♬ 長井 克之
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<予定(但し、臨時差し替え頻発😂)
#341 ご縁とケミストリー
#342 糸井重里さんの言葉より
#343 役者
(つづく)