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晴れの日も雨の日も#329 恵まれているとは

「ええなあ、あんたは。恵まれていて」と人から言われるという方はどのぐらいいるのだろう。

こう言われて、「そうなんです。おかげさまで」と言える人は幸せだ。自分が今持っているもの、今いるところに満足している証だろう。あるいは自分が本当に求めているものが何なのかを自分でわかっている人だということができるかもしれない。

反対に、「え〜〜、どこが?!」と思ってしまうとすれば、それはちょっとザンネンな生き方かもしれない。
自分が持っているものを過小評価しているのか。
あるいは、持っているものではない別のものが欲しいのか。。。
ひょっとしたら、高望みとか欲深いということかしら??
せっかく持っているイイモノに気がつけていないとすれば、実にもったいない話だと思う。

そもそも恵まれているかどうか、というのはカンペキに主観の世界だ。そう声をかけた人の基準からすれば恵まれているように見えても、言われた方の人のモノサシが同じとは限らない。

京都竜安寺のつくばいには、「口」を真ん中にした「吾唯足るを知る」という文字が刻まれているが、自分のことを「恵まれている」と思って生きていくことは幸せへの近道だろう。「恵まれている」かどうかは自分が決めることなのだ。


コーちゃんの場合はどうか。
典型的な昭和系モーレツサラリーマンで、さらにその前はコテコテの体育会人間のコーちゃん。ここまで63年間、つま先立ちで駆け抜けるようにして生きてきた方だと思う。自分が恵まれているかどうかなんて振り返ったり考えたりする余裕はなかった気がする。むしろ、足りないものがあれば、自分で頑張ってゲットすりゃええやないか式の思考スタイルだった。

たいした楽しみもなく、心豊かに人生を送ってきたとはいい難いかもしれないが、恵まれているかどうかを考える必要がなかったということは、逆に恵まれていたということをきっと雄弁に物語っているのだろう。

判断基準は自分自身ということは、時間軸の中でも「恵まれている」かどうかは変わりそうだ。
たとえば、ある黄金期を迎えたことがある人。
その頃のことが忘れられずに、「あの頃に比べて今は恵まれていない」と思うかもしれない。そう思っても決して恵まれた日々は戻ってこないのに。今は今の状態の中で新たな「恵まれた状況」を捉え直さないといけないのに。
反対に、ツライ日々を乗り越えてきた人はそれとの対比で今は恵まれていると思うことができそうだ。生きてるだけで儲けものと思えればそれこそこんなHappy Lifeはない。


人とも比べず、過去とも比べず、ただ今を楽しむ。これが究極の「恵まれた」人生なのかもしれない。


(ここまで本文1,082文字)

朝陽の中で。

今日も最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました♬ 長井 克之

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(つづく)

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