晴れの日も雨の日も#322 免疫
まず先日知り合ったオッサンのことを少し書く。
高度に知的な仕事についておられ、理詰めで物事を考えることに卓越しておられた。観察力も優れ、本質に迫る力に非凡なものを見せてもおられた。優秀な学業成績を収められたことは間違いなく、社会に出てからも人の規範となることを意識して生きてこられた様子がうかがえた。
が、ご本人曰く、新興宗教にハマりかけたことがあるという。
本質的でピュアであるがゆえに、そういう方向に走り出すとヤバいのだそうだ。その時は、周囲の人のヘルプもあって目が覚め、大事には至らなかったらしい。
マジメ一辺倒でやってると免疫がなくて、と笑っておられた。さらには、こういうタイプはハニートラップにかかりやすいから女性には注意してるんですよ、などという冗談も発せられていた。
若い頃にテキトーに遊んでおかないと、年取ってから免疫がない、ということはしばしば言われる。
「疫病」から「免れる」と書いて「免疫」だ。感染に対する抵抗力を指すわけで、一度かかった感染症には二度目は感染しない(軽い症状ですむ)という知見がベースになっている。目新しいこと、不慣れなこと、それも刺激の強いものには誰しも目を奪われやすく、そこで自分のバランスを取るためには、なんでも経験しておいたほうがいいという大人の知恵だ。
自分のクセ・性癖その他自分のことや、相手あるいは物事との距離の取り方を身を持って知っておくことは大事なことだ。
それが若いうちなら、少々失敗してもやり直しもきくし、キズが癒える時間も十分ある。そういうことを知らずに年取ってから何かにハマってしまうと、大げさにいえば身の破滅まで行ってしまいかねず、少なくともかすり傷では済まない可能性が高い。
男女問題はその典型だし、だからロマンス詐欺なんてものが世を跋扈したりする。アヤシげな儲け話も略同様だろう。
一方で、経験値が増え世慣れていくことには副作用もある。たとえば「こんなもんだ」とわかったような気になって人生をナメたような感じになること。あるいは自分の知見にとらわれてしまうこと。「慣れ」はフレッシュさとは対局のものであり、ひとつ間違えば「狎れ」にもなりかねない。そしてそれらが高じると、物事を深く受け止めたり感動したりという心の働きが低下する。
3年ほど前に拙note#28「いつまでも少年の心で」という記事を書いた。
「身体は大人、頭は子供」という大人げない人では困るのだが、いくつになっても心は少年のようにみずみずしく純なものでありたいと思っている。なんて記事を準備してたら、つい先日、「純だ」「善だ」というご評価を頂き、不覚にもウルウルしそうになった🤭🤣
もう「テキトーに遊んでおいた方がいい若い頃」はとうに過ぎており、今更免疫があるとかないとかという話でもないのだが、純粋な心を持ちつつも、常識も兼ね備え、のめり込みすぎない安全運転もできる「おとな」でありたいと思っている。
(ここまで本文1,206文字)
今日も最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました♬ 長井 克之
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<予定(但し、臨時差し替え頻発😂)
#323 答え
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(つづく)