晴れの日も雨の日も#301 永遠を誓わない愛?
相変わらず人気があるような、いやツマラナクなったという声もあるような朝ドラ「ツバとら」。
共に戦争中に伴侶を失った寅子と航一は、結婚をゴールとしない「永遠を誓わない愛」で付き合い始めた。が、やはり結婚に気持ちが向かう。となるとどちらかの改姓が必要ということでいろいろ悩み、最終的に、婚姻届を出さない事実上の夫婦関係という形を見つけた。
とまあ円満決着なのだが、私の中では引っかかっていることがある。
まず、冒頭の「永遠を誓わない愛」という言葉。
二人はいつしか相手のことが大事な存在となり、一緒にいたいと思うようになる。しかし、子供のこと、家のこと、仕事のことなどお互い抱えているものや事情がある。で、航一が「不格好でもいいから、相手の事が好きだという自分たちの今の気持ちを大事にすればそれでいいではないか」という考えから件のセリフを口にする。
今の気持ちを大事にしたい。それだけでいいじゃないか。相手のことを変に束縛したくない。仕事や家族これまでのことも含めて今の自分もまた大事だ。そういう趣旨についてはagreeだ。
が、「永遠を誓わない」とまで言い切ってしまうと、じゃあイヤになったら別れるんか、とか、人生雨の日も風の日もあるけどそんなんで乗り切れるんかいな、とか思ってしまう。
もともと、2人は必ずしも結婚する気ではなく、むしろ愛しあう2人の形は結婚だけではないという考え方だった。
「結婚ではない形」の意図は自由恋愛ではないと拝察しているが、より確かなもの、信じられるもの、ほんとうのものを手に入れようとするなら、それ相応の努力が必要だ。「永遠なんて誓わない」という言い方には、ダンコたる思いが欠如したような、やや浮ついたニオイがする。ハイリスクハイリターンという訳ではないが、その程度で手に入るものがあんたらの本当の願いなの?と思ってしまうのだ。
ちょっとキザな言い方をすれば、しんどい時こそ愛が試されるとコーちゃんは考えている。これまでの育ちも背負っているものも違う二人が共に暮らし、幸せになるためには、我慢も辛抱も必要だし、許容やある種の諦めも避けて通れない。航一のこのセリフにはそういう「乗り越えていく」感じが感じられず、違和感を感じている。
一種の言い回しの綾という問題もある。
「何が何でも永遠を誓う、ということにはこだわらない」とか、
「永遠をないがしろにするわけではないが、一番大事にしたいのは今のお互いの気持ちだ」と言えば違和感はない。これが真意なのだろう。が、「永遠を誓わない」と言うと「永遠を誓うことを拒否する」ということとほぼ同義に聞こえる。完結でシンプルな言葉故に、極端に走りすぎて大事なところをバッサリ切り捨てていると思う。
こういうことは他でもよくある。
たとえば「不要である」と「邪魔になる」は違う。
「受諾できない」と「拒絶する」の間には「保留する」がある。
このあたりを大事にしないと「プラスでないものは全部マイナス」と言っているような乱暴感を禁じ得ない。
また結婚問題はもっと奥深い。夫婦別姓のテーマを扱ったNHKの姿勢にはある種敬意を表するが、ことは、両性がどちらの姓を名乗るかということにとどまらない。別姓にした場合、子供はどうなるのか、とか、「家」とか「家族」の本質とは、といった問題がその根っこに横たわっている。同性間の恋愛も絡めて、相続や法的な立場を明確にしたうえでの事実婚というのは、ひとつの方向性を示したと思うが、「家族とは」ということへの掘り下げは十分ではないように感じた。
と先週までに書いていたら、そこは今週のテーマらしい😉 チチンプイプイの魔法でどんな世界を見せてくれるのか楽しみだ。
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今日も最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました♬ 長井 克之
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