晴れの日も雨の日も#328 おでん屋シリーズ#16
1)適性
おでん屋の店員さんの前職時の話を聞いた。
上司が「スタッフの配置は適性を見て決める」という方針で、「〇〇さん(彼女とは別の人)にはこの仕事しかムリ」という運営だった、と。
で、適性からくる限界ってあるのかしら、という話で私達は結構盛り上がった。
適性。早い話が向いてる向いてないって話だ。一般的に言って、そりゃあるだろう。
半分は性分みたいなものだ。
明るく陽気な人もいれば沈着冷静でミスの少ない人もいる。
周囲に目配り気配りができる人もいれば、コツコツと自分のペースで仕事を積み上げていく人もいる。どちらがいいとか悪いという話ではない。
が、そういうキャラっぽい話だけではなく、能力みたいな色彩も加味される。適性があれば早く身につくし、いつまでたっても進歩改善しなければ適性がないとみなされる。上でご登場頂いた上司ドノは、自分はそういうことを見極める力に優れている、とお考えなのだろう。
そういう「目」は、組織を預かる責任者としては重要な能力であり、この方のやり方はごもっともだ。が、この日の私達の会話は、「それは過去から現在までの足跡で判断しているだけで、未来の能力について見ていないのではないか」と発展した。「あいつはこうだから」という現時点の判断で決め打ちするのは安全といえば安全だが、未来の可能性を摘み取っているのではないかということだ。
100mを10秒で走るためには適性が必要だ。が、18秒かかる人が15秒で走れるようになるのには、適性より努力の方がたぶん大きい。そしてその努力の原動力となるのが、「15秒で走れるようになりたい」と本気で思う心だ。全ては心から始まるのだと思う。その心が未来の能力を生む。
組織によっては、人員構成上、適性が乏しいように見えてもその人に頑張ってあるポジションを埋めてもらわないと困る、ということだってありうる。適性の優劣をある程度カバーするもの、それが心であり、そこに灯りをともすことは適性を見極めるのと同じくらい大事だ。簡単ではないのだが。。
2)新聞
企業戦士の朝は日経新聞から始まる、と社会に出る時に刷り込まれた。従順なコーちゃんは、毎朝駅で買った日経を縦4つ折にして、つり革につかまり通勤していた。
もう15年近い前、Ipadを購入した。以降、新聞を買うことはなくなった。先日おでん屋で隣の常連さんとそんな話になり、私より数年若くサラリーマン現役の彼は、いまだに紙ですわ、と頭を掻いておられた。
昔は新聞の営業が自宅に来たものだ。遊園地のチケットを持参したりして。最近、そういう営業もなくなった。というか拙宅では新聞を取らなくなって長い。家族たちもスマホ等でニュースをチェックしているようだ。というか、子どもたちに至ってはニュースに対する関心そのものが少々アヤシイ。
ご近所さんが古紙回収に出されているのも、古新聞のお宅は多くない。むしろ多いのはアマゾンの段ボールだ。
自宅に新聞がなくなると、たとえばちょっとモノを包む時に困ったりする。娘#4の引っ越しの際には、食器等を包装する古新聞がなく、結局その日の新刊紙を買う羽目になった。
さらに遡れば、子供の頃は新聞紙でおしりを拭いたっけ。まだポットン便所の頃。半世紀以上前の話しだ🤭🤣
書道の時も半紙に書く前に新聞紙で練習をした記憶がある。
かつて新聞はメディアの主役だった。テレビが出てきてもその存在感は大きかった。が、ネットやSNSが台頭してきて位置づけが少しづつ変わってきている。
「どうやって情報を得るか」「何を信じるか」というのが昨今の選挙に絡んで話題になっている。難しい世の中になってきた。
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今日も最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました♬ 長井 克之
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<予定(但し、臨時差し替え頻発😂)
#329 恵まれているとは
#330 コーちゃんは変わった。のか?
#331 手紙〜十五の君へ〜
(つづく)