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生きたくないけど、死にたくなかった先にあった未来。
ちょっと重い話です。
書きたいことがいっぱいあって、何からにしようかな、、と思っていたところに、
ちょうど「#想像していなかった未来」という企画があったのでピッタリだなぁと書き始めました。
いちばんしんどかった頃
義務教育の期間は、家庭と学校、習い事で世の中が完結する。だから、自分の中で"当たり前"が勝手に作られていく。
でも、これって結構偏ってて、運任せというか、リスクがあるというか。
私が小学生の頃、長女が学校に行けなくなると、連鎖するように家族全員が精神的に崩れ始めた。表現の仕方が上手く見つからないけど、負の連鎖みたいな感じで。
その中で、私だけがしっかりしなきゃ!って意気込んでたんですが、自分がしんどくなってからは、その反動か一番囚われている感覚もありました。
入院までしたのも、私だけ。
キラキラした未来は全く想像できなかったし、
そもそも普通の日常生活が送れるようになるのか?
このままでずっと生きる意味ってあるのか?
ってぐらい追い込まれてました。
生きたくないけど、死にたくない
生きることに絶望はあったんですが、不思議と死にたくはなかったんです。
一番強かった理由は、
周りに迷惑をかけたくない、でした。
家族からたくさんの精神を削り、お金や時間をかけてもらっているけど、病気の治し方がわからない。
生きるだけで迷惑をかけてるって、絶望しながらも、
ここで人生が終わってしまったら、自分が幸せになる未来も、家族に恩返しできる可能性も0.1%もなくなる。
それがとても悔しかったので、とりあえず生きる。
必死の抗い
そんな毎日の中で、表向きはいわゆるエリート街道にしがみついていたものの、薄々はこの道じゃないって気づいてました。
高校3年になって、初めて「"自分の人生"を生きたい」と思い、大学進学を辞めるという強硬手段に。
正直、そこまでする必要はなかったのかもしれません。でも、いろいろ限界で、冷静な判断を考える余裕はなくて。
なんとかして状況を変えなきゃ。
ただ、それだけでした。
小さな挑戦の積み重ね
進学をやめたからと言って、摂食障害が治ったわけでも、生き方も180度変わったわけでもありません。
ただ、自分で人生やキャリアの選択肢を初めて"創る"経験をしてから、がんじがらめだったキャリアや生き方の考え方にほんの少し余裕ができた。
知らない世界がいっぱいあって、知らない考え方や生き方がある。今までの"当たり前"が、絶対的当たり前じゃなかったんだって知ることで、小さな挑戦をするようになりました。
はじめは、大したことはしてません。
動物の専門学校だったので、動物園、牧場、猿回し、ペットショップなどで働いてみる。
無縁だった居酒屋やバーに行く。
キッチンカーの立ち上げに関わる。
色んな人と話したり、関わってみる。
なかなか100%は変わらない
考え方や"当たり前"の幅が広がって、少しずつ心が楽になって、周りに自己開示しないまま、学校や社会人生活ができるぐらいにはなりました。
それでもやっぱり、
「大学進学しておくべきだったのではないか」
「正社員でないと」
「とりあえず働かないと」
こうあるべきという考え方が簡単に100%変わりはしなくて、焦って、しんどくなって、毎日が楽しくなくて。
でも、徐々に考え方や"当たり前"の幅が広がった中で出会う、自分がワクワクした考え方や"当たり前"を持っている人、一緒にいて心地良かった人と過ごす時間が増えました。
ゆっくりですが、自分の考え方や"当たり前"が変わっていって、楽になったし、ワクワクしている自分が総じて増えた。
そして、いつの間にか想像もしていなかった起業家になっていました。
大変なことも含め、毎日を楽しんでます
私は起業家という"働き方"が合っているなと感じます。
自分で全てを決めて、好きな人と働くことができ、しんどい時に休もうが自分の責任です。
何より摂食障害の症状がほとんど出なくなってきています。
もともと0→1が好きだし、今まだ知らなかったビジネスや取り組みをされている経営者さんや企業、団体に出会い、いろんな"当たり前"を破ってくれるからです。
大変なことが多いのも事実ですが。
起業家でなくても、世の中には多様な"働き方"や"生き方"、"考え方"があるはずです。
自分の"当たり前"や"想像できる未来"は、絶対的ではない。
そう気づいて、楽になれる人が少しでも増えればいいなと今日も活動を進めています。