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37歳他人軸から自分軸に変わった、はなし(2/3)

自己中から他人軸への転換

自己嫌悪に加えて人間不信に陥ってしまった私も大学を卒業
私立高校に就職した
美術の講師としての非常勤採用だった
新卒だけど、働くことに高い志はなかった
加えて、まだカースト上位への執拗なこだわりを持っていた
まだ「負けた」という事実に向き合おうとしていなかった
(そもそも何の勝負なのか、これは違う記事にまとめることにする)

ありがたいことに応援してくださるギャラリーのオーナー様たちが作家として展示をするという最後のカードを保たせてくれた
定期的に企画展へ声をかけていただいたおかげで、作品発表を続けることはできた
人として最低限に生きているというギリギリの状態だったけど、展示発表の機会を与えられたことに生きる希望を見ていた

でも、そんな状態だったからだと思う
絵が描けなくなった
表現したいものがわからなくなった
初めてのスランプだった

他人軸に切り替わった瞬間

大袈裟に聞こえると思うけど、当時は本当に絶望感に苛まれていた
事故とか事件のニュースを見るたびに、私じゃなくてごめんねとか思うようになっていた
毎日毎日辛くて、ある日プツンと糸が切れてしまった
「死んだつもりで生きよう」
これが他人軸に切り替わった瞬間
心が完全に死んだ瞬間だった

モテない
公募入選できない
仕事がうまくいかない
上司と反りが合わない
何となく避けられている気がする
ニキビが治らない
体重が増えた
将来が不安
親の介護どうしよう
お金がない

あげたらキリがないけど、日々募らせていた不満を丸っと受け入れることにした
「どうせ私だから仕方がない」って
健全なやり方じゃないのは今ならわかるけど、当時はこれが最大の防御だった
生き続けるために私ができる唯一の方法だった

それから好きなものは買わないようになった
身につけるものは全て「30代、女性、オフィス」で検索した
目標は誰の記憶にも残らないこと
誰かの記憶に残る=社会から浮いているからだって思うようになった

粗相をしないか、常に不安だった
常識として
社会として
女性として
同僚として
部下として
私がどう思うかではなく、あらゆる他人からの視点で自分をジャッジして及第点が取れるように努力した
結果として、他人軸は私を生きやすくしてくれた
生きるとは世の中の真ん中を探すような作業だと思っていた
大体のことはネットで検索すれば出てきたし
それに沿って生きれば悩むこともない

自己顕示欲が強かった私には、極端に他人軸へ振れたことによって結果としては社会性を身につけた
それはつまるところ、作家性の喪失でもあった

長くなったので次に続きます

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