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自己紹介パート3

みなさんこんにちは😀 SHOMAと言います。

Twitter見てくださっている方、いつも応援ありがとうございます。

今回は自己紹介の最終回ということで、大学2年生になってからの話をしたいと思います。

最後にはこのnoteへの意気込みも綴ってあるので、ぜひ読んでいただきたいです!

これまでの記事を見ていない方はぜひこちら↓からご覧ください。

パート1(ただの自己紹介)! パート2(大学1年生の話)!


これまでの自分

まず、これまでの話を整理しておくと、早稲田は真面目に勉強する人ばかりだと期待して入学した自分は、大学1年生で早稲田の多様な価値観に耐えられなくなり、人から評価されることに固執する「いい子」である自分を守るため、同じような価値観の人で自分の周りを固め防御するようになった。

こういった話になります。

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ある教授の言葉

ただ、大学2年生の授業である教授と出会い、自分の価値観に大きな変化が起きました。

その先生の授業は、以前からおもしろいと聞いていたので2年の春学期に私は取りました。

実際、授業は200~300人規模で、かつ初めてのオンラインで教授も慣れていないし生徒は皆ビデオをオフにしているにも関わらず、その先生は生徒の理解度を丁寧に確かめながら、授業を進めていました。

「どうせなら学生にしっかり学んでほしい」と勉強熱心で、自分と価値観が合う、早稲田の数少ない教授であると感じ、授業を受ける度、信頼が増していきました。

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私の転機は、その教授の言葉で訪れました。

それは、「大学は勉強してもいい場所なんだよ。」という言葉。

おそらく先生は、普段遊んでばかりいる学生に、勉強という選択肢を提示するためにこの言葉を使ったのだと思うけど、

自分にとっては真逆の意味で、

「大学は勉強しなければならない場所ではないんだ。」という考えに及びました。

これは自分のこれまでの価値観を否定するものでした。

しかし、自分の価値観を守ってくれると心を許した相手が放った言葉は妙な説得力を帯びたまま自分の胸に入り、なぜかすんなり受け入れることができました。

先生はこんなに真面目な人なのに、学生は大学で勉強だけしっかりすればいいと考えているわけではないんだ。


でも、なぜだろう??🤔


先生は授業でまた別の週、こんなことを言いました。

「集団に色んな背景をもつ人がいればいるほど、生まれる選択肢や可能性は大きくなる。きっと世界も、色んな人がお互いの比較優位を尊重し合えば、もっとよりよい世の中になるはずだよね。」

比較優位

なるほど。😲

ここで、すべて理解した。

私に足りなかったのは比較優位の考え方。みんな違っていいじゃないかということ。

勉強できる人しかいなかったら、みんな画一的な発想しかできず、世の中を大きく変えるような事業は生まれない。

見えているもの、見えないもの、美しいと感じること、絶対に許せないこと。

みんなそれぞれ違う価値観を通して世の中を感じているから、自分では思いもよらなかったような新しいものが世の中に出回るし、おもしろいと感じる。

それで世界は豊かになるんだ😚

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こうして、今では早稲田の素敵な多様性を感じながら、色んな学生と仲良く、学生生活を過ごすことができています。

ちなみに、今年この教授のゼミに見事合格し、尊敬する先生の下で研究する、充実した大学生活を送ることができています。


このnoteでやっていきたいこと

この一連の出来事の中で、自分自身の価値観にも変化が起き始めています。😁

これまでの「勉強真面目理論的ストイックスタイル😤」がもはや絶対善ではないと悟ったことで、

今まで隠れていた新しいいくつもの可能性の芽が、自分の中で顔を出し始めたような感覚です。🌺

それらは、今までの「理論的」な自分とは対極にある、「直感的」な自分です。

今までの自分も好きだけど、新しい自分も見てみたい。

いや、この2人の自分を操って両立できたら、どんなに素敵だろう。

やってみたい😝

と思い、じゃあ

直感的な自分の芽を育てる、観察日記的なものを作ろうということで、

このnoteを始めることにしました。

論理的な自分と直感的な自分をどう使い分ければいいか、なども知見を共有していきたいと思います。

ここまで読んで下さった皆さん、ぜひ応援していただけたら嬉しいです!

これからよろしくお願いします!

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Twitterもやってるよ




それでは

SHOMA

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