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指摘を受けたときのマインドセット
どうも!なばすです!
小学生の時は、
ししゃもは頭から食べると頭が良くなり、しっぽから食べると足が早くなる
という迷信を真に受けて、必死にしっぽから食べてました。
大学生くらいになって、さすがにもう足の速さはいらないかと思い、最近は頭から食べてます。
(未だに迷信から抜けだせない、、)
今日は「指摘」ストーリーパート2です。
昨日の記事では、指摘をする側のマインドセットについて書いたので、今日は指摘をされる側のお話をしようと思います。
指摘されるのって結構しんどい
みなさんは指摘を受けたとき、どんな気分になりますか?
わたしは、「うわ〜」ってなります・・・
いや、どんな感情。。
「指摘」というものに対してポジティブなイメージがなく、
・直さないといけない自分のだめなところ
・次同じことをしたら見限られてしまう
こういった感覚になる気がします。
いつから、どうしてこの感情を抱くようになったかはわかりませんが、人前で恥をかきたくない、怒られたくない、見限られたくない、、
そういった思いがあるから、指摘を受けたときには萎縮気味になってしまうのかと。
でもこれって、もらった指摘が自分のどこに向いているのかをちゃんと整理できてないことが原因なのだなと最近つくづく思うようになりました。
「人格」と「行動」
頭ごなしの批判は別として、相手が自分のためを思ってしてくれる指摘というのは、基本的にそのベクトルは「行動」に向いています。
「その行動だと、誤解を招くから直したほうがいいよ」
「無意識にやっているかも知れないけど、相手には違った伝わり方をしているよ」
これらは、当事者が普段無意識のうちにとっている行動で、その人が見えていない部分に気づかせてあげる、というのが目的です。
そこには、人として「いいヤツ」「わるいヤツ」みたいなものは一切ありません。
指摘が自分の行動に向いているもので、自分と相手の人間関係には何ら影響しない。
そう捉えられれば、指摘に対する抵抗が少なくなるかなと思います。
とはいえ、抵抗はある
批判や指摘を、「人格」と「行動」に分離する。
最初にこの言葉を聞いたときは、すごく腹落ち感がありました。
でも、実際に指摘をもらったときに、そんなに冷静になれるかというと、そんなことはないんですよね。。
自分の調子や相手の使う言葉、話し方、、
些細なことで、受け取る際に心がざわついたり、痛みが生じたりするものです。
じゃあ、痛みが生じるのは仕方ない、と割り切ったときにどうするか。
最近、一ついいかもと思った方法があるので紹介します。
ちょっと汚い言葉遣いになってしまうので、その点はご容赦ください。
指摘や批判を受けて、自分の心がざわついたときは、これ以上ないくらいの最大限の愛情を込めて、自分の心に言ってあげてください。
「うっわ、うんこやな。」
と。
ポイントは、最大限の愛情を込めるというところです。
頭の悪さをご勘弁くださいm(_ _)m
つづく。