もし恐怖がなかったら、何をするだろう?
おはようございます☀
大山滞在13日目です。
昨日は、鳥取に来て始めて、一人で観光にでかけました。
おすすめしてもらったカフェに行き、三朝温泉に入り、ゲストハウスに泊まり、良き1日を過ごすことができました。
そして、いわゆる「観光」をしてみて、気づいたことがあります。
観光地巡りは楽しいし、すてきだな〜と思う場所がたくさんあったのですが、これまでに経験させてもらった「大山の暮らし」の方が自分にとってはわくわくするし、すごく愉しんでいたのだなということがわかりました。
「わたげ荘(シェア別荘)やシゴト場カケル(コワーキングスペース)に来る人は全員友だちだから、初対面でもすぐに打ち解けられる安心感がある。」
という、まーしーさんの言葉が今蘇ってきました。
展望台から見る絶景よりも、日々車から見える何気ない景色の方が、
おしゃれなカフェでこだわりのケーキとコーヒーをいただくよりも、シェアハウスで何気ない会話をしながら淹れるコーヒーの方が、
温泉のあたたかさよりも、どこからともなく人が集まって談笑するあたたかさの方が、
私にとっては大切なものなのだなと、ここまでのシェアハウス生活をちょっと離れたことで気づきました。
一人ひとりが自分らしいライフスタイルを送りながら、ゆるやかに、それぞれの関わり方であたたかくつながる。
それを目に見える形で捉えようとするなら、「コミュニティ」や「居場所」みたいな言葉になるのだと思うのですが、ただ、「ヒト」がいて、そのまわりにも当然のごとく「ヒト」がいる。
「ヒト」と「ヒト」が交わるから、何かが生まれ、また新たに「ヒト」につながる。
それがやがて大きな塊になって、エネルギーを発する。灯台が照らすように方向性を浮かび上がらせる。
「友だち」から「村」「国」「世界」までは連続的で、そこに境目や分断はなく、わかりやすく区切ったり、カテゴライズしたときに、「コミュニティ」という認識の仕方をするのだろうなと思いました。
今、私が所属するColorbathでは、「シェアビレッジの村民募集」というクラウドファンディングをやっているのですが、これも、「コミュニティを作りたい!」のではなく、ただ、人と人とのつながりのあたたかさを感じたいし、そうやって連続的にゆるやかに繋がりがあるんだよ、ということを体現していきたいんだなと、改めて確かめることができました。
と、色々書いていたら、今日書こうと思っていた「もし恐怖がなかったら、何をするだろう?」にたどり着きませんでした。
これは、昨日読んだ「チーズはどこへ消えた?」という本の中に出てきた言葉で、自分が一番ピンときたフレーズです。
変化は常に訪れる。そして、変化には誰しも少なからず恐怖を感じる。だからこそ、恐怖がなかったらどうするか?と自問し、変化を受け入れ前に進む。
そういうメッセージのこもった言葉です。
またどこかで深堀りするかもしれませんが、書きたい!と思った熱は徐々に覚めていくので、これ以上書くことはなさそうです。
それ以上に書きたいことがあった、というのもまた幸せなことです。
大山滞在「残り20日」