「慣れ」の中に見えてきた3つのこと
おはようございます☀
大山滞在10日目です。
朝、玄関前にみたことない形のカミキリムシのような虫がいて、思わず捕まえてしましました。
今日も大山は良い天気です。天気が良いだけで、なんて良い日なんだ!と思えるくらい景色が綺麗です。
かならずやってくる「慣れ」
大山に滞在して10日が経過し、今住んでいるシェアハウスでの暮らしにも慣れてきて、朝のルーティーンなどのリズムもできてきて、大山での生活に心地よさを感じています。
朝のラジオ体操、ジョギングからのnote執筆までの流れも、ハマってきていていい感じです。
つまり、「慣れ」てきています。
「慣れ」自体には、良いも悪いもないのですが、慣れてくると必ず油断が現れるので、自分の「慣れ」の状態を認識するためにもnoteに書き留めておこうと思います。
慣れてきたことに心の中で起きている3つの変化
自分は、慣れてきてるな〜と、漠然と感覚的に認識して、修正できるタイプではないので、自分の「慣れ」の状態を細分化して捉えてみようと思います。
慣れてきたときに起きる1つ目の心の変化は、「安心する」です。
新しい人との出会いで気を張っていた状態が緩和されたとき、生活面での最低限の快適さを整え終わったとき、ほっとして、自分の一番ラクな状態が出やすくなります。
すると、何かを意識してやろう!といったような、変化を求める気持ちが必然的に緩んでいきます。
2つ目は、「調子に乗る」です。
「新しい環境にもう適応できてるじゃん」
「1週間もルーティーンを続けられてるじゃん」
(さすが…!)
みたいな感じです。
そして、それを褒められたときには、一層調子に乗ります。
でも、調子に乗ってると思われるのが嫌ななので、口では「そんなことないです。」と言います。
こうやって整理すると、式で表せそうなくらい単純ですね。
3つ目は、「飽きる」です。
毎日同じことを続ける、というのに退屈さを感じてきます。あとは、このルーティーンを続けているだけで、本当に自分は変化できるのか、成長できるのか、みたいな疑いの気持ちが生まれてきます。
ただ、「何も考えずに同じことを続ける」というのがあまり苦にならない鈍感なタイプなので、なんとなく続けます。
でも結局は、作業的にやっているので、自分の中でのやりきった感は高くならないのです。
受け入れた上でどうするか
今、改めて整理してみて、自分でもかなり解像度が上がりました。
「安心する」「調子に乗る」「飽きる」という変化は避けられないとして、じゃあどうするか、です。
まだ具体的な解決策は思いついていません。
でも、慣れてきたときの変化を素直に受け入れることは、大切だなと思いました。
今までの感覚だと「邪念がない」状態を作り出さなければ、みたいな感覚が強かったし、ルーティーンを続けている人は、邪念をすべて取り払って研ぎ澄ました状態を保っている、みたいな認識をしていました。
出家僧とかイチローとか、頑張れば聖人君主的な人になれると思っていたのだと思います。
どこまでいっても邪念が消えることはないし、調子に乗ったり、飽きたりする自分はいる。
「ああ、自分は調子に乗っているな。これで良い。よし、また一から頑張ろう。」
そんな声を自分にかけて、1日1日を大切に生きていこうと思います。
大山滞在「残り23日」