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ノンジャッジメンタルの心得

どうも!なばすです!

最近ジムに通い始めたのですが、泳ぐのが気持ちよくてたまりません!
ただ、ついつい自分の限界を試そうとして、泳いだ後気持ち悪くなることがしばしばあるので、気をつけます。

今日のテーマは、「ノンジャッジメンタル」です。

ノンジャッジメンタルとは?

ノンジャッジメンタルとは、あらゆる事象に対して良い悪いを判断していない状態のことです。

その逆がジャッジメンタルです。
ただそこに事象があるだけなのに、それに対して善悪の判断をしたり、その意図を深読みしたりする状態のことです。

例えば、誰かとSNSでやり取りをしていて既読だけついているとき、

「相手に無視されているのかも...」
「読んだのに無視するなんて最低。」

などと考えるのはジャッジしている状態です。

逆に、

「忙しいだけで、きっと無視しているわけではない」
「お互い気が許せる中だから、既読スルーしてるのだろう」

などのポジティブな考え方もジャッジしている状態に当たります。

ノンジャッジメンタルは単純に、

「既読がついたが、返信は来ていない」

と事象をありのまま捉えている状態です。

思い返してみるとジャッジだらけな私

私自身、「ノンジャッジメンタル」という言葉に出会ったのは最近なのですが、振り返ってみると自分があらゆる場面でジャッジをしていることに気づきました。

代表の吉川さんからは、

「たまにジャッジをしている、とかではなくて、ジャッジの塊だよね。」

と言われました。笑

たまにジャッジしているとかなら、まだもうちょっと凹んだのかもしれませんが、もはや「塊」まで行くと良い意味で諦めがつくというか、自分でも笑ってしまいました。

自分がしていたジャッジ例はこんな感じです↓
(ジャッジ例ってなんやねん。笑)

・相手の気分を損ねて自分が嫌われることを避けるために、当たり障りのないことを言う

「相手の気分を害したら、相手はきっと自分のことを嫌うはず」
というジャッジ。

・「できないやつ」と思われて見放されないように、なんとなくいい感じに聞こえるように事実を説明する(自分の意見ではなく事実の説明)

「自分の意見が間違っていたら、相手は「できないやつ」と思うに違いない」
というジャッジ。

・ミスしたときに、「どうしよう...やっちゃった...」とネガティブになる

「ミスは良くないこと」
というジャッジ。

日々の中であまたのジャッジを下している私。
上の例は、主に仕事面でよく出るものですが、他にもたくさんありそうです。

ノンジャッジメンタルへの道のり

呼吸をするようにジャッジをしている私ですが、果たしてノンジャッジメンタルにたどり着くのでしょうか。

今のところの感覚としては、ジャッジはなくならないんじゃないかな〜という感じです。

ただ、ジャッジをしていることに自覚的になることは大切な気がしています。

「ジャッジをするのは良くない」

というのも一種のジャッジなわけで、

「あ、いま自分ジャッジしてたな。」

と気づいて、それをそのまま、ひょいっと川に流す感覚が何となくしっくりきます。

自分がジャッジしたことすらもジャッジしない。

ジャッジをしたあとで、ノンジャッジで考えるとどうだろう?と巻き戻ってみて、改めて自分の意見をいう。

「こういう軸でジャッジをして、こう思います。」

と。

ぐるぐるしてきますね。笑

まあ、このくらいふわっとしたまま感覚的に捉えておけばいいのかなと思ってます。

最近の私のテーマは、わからないものにであったとき、無理に言語化したり論理立てて整理したりせずに、だいたいこんな感じ...!というフィーリングで受け止めることなので。

そんな感覚を研ぎ澄ますためにも、今年は芸術の秋にしたいなと思ってます。

つづく。

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