給食(多数派)と弁当(少数派)

今日という1日が終わります。

皆さんはどのような1日だったでしょうか。

自己紹介①で書いた学校給食について少しお話しさせてください。

わたしや4つ離れた兄は小学生から中学生まで学校給食を取っていませんでした。毎日弁当を待たされてました。

学校給食というものは、好ましくない食材を使っている理由から親が学校にうちの子は弁当を持たせますと申し出たのです。

わたしの家は自給自足を目指して田畑をしていたため、いわゆる自然派な食事でした。肉や魚もあまり食べませんでした。養鶏をしてたので卵は毎日のように食べていました。命をいただいてることをかみしめることのできる食生活だったと思います。

お昼、みんなが給食を配膳している中わたし1人弁当を机の上に置きただひたすらいただきますの合図を待つだけでした。机を向かい合わせる習慣が相当憎かったです。

わたしが小学1.2年の時は、みんなが弁当でした。それでも牛乳は出ていました。それもわたしと4歳年上の兄は取っていませんでした。

そもそも、毎日牛乳を飲む習慣がおかしい話なんです。狭い土地しかないこの国で、自然のまま牛を飼育するのは数に限度があるのに、全国の小・中学生が毎日のように牛乳を飲むなんて全くおかしい話なんです。

しかし、他のみんなが飲んでいるものをなぜわたし1人だけ飲めないのか。弁当が嫌なんじゃない、みんなと違うことで、避けられるのが嫌だったんです。わたしは6年間このマイノリティの立場を理解できませんでした。6年と言わず中学3年間も合わせて9年間。

牛乳を取っていない事と弁当の中身がみんなと違うから、劣等感のようなものを最初から持ってしまったために、小ネタにして笑うこともできませんでした。

みんなは白いお米。

わたしは黒米や雑穀が入った茶色いお米。

みんなはウインナーや唐揚げ、ミートボール

わたしのおかずは野菜ばかり

今、どちらの弁当がいいかと言われたら、わたしが食べ続けた弁当がいいと即答します。給食を食べさせてくれなかった母に感謝もしています。

でも、6歳のわたしはみんなと違うことが恥ずかしかったのです。男子9人、女子1人ということですでに恥ずかしい思いで一杯だったんです。

みんな、わたしと関わりたくない。わたしもみんなの視界に入らないようにしなきゃと、特にお昼ご飯の時は息を潜めてやり過ごしていました。

授業で「弁当と給食」のディベートをしましょうなんて言われた時はサボタージュしても良かったと今更後悔しています。

HRの時間、菜花さんは牛乳を飲んでいないから、牛乳係にはならなくていいとか、給食の配膳はしなくていいとか、ある意味特別扱いをされていました。いつからか自分のことが他人の話題に上がることを恐れるようになりました。自分のことなんて忘れてくれたらいいのにと本気で思っていました。わたしなんて大した人間じゃないのだから、時間を割いてわたしの話なんてしなくていいのにと。

母の行動に文句を言いたいのでは無いのです。

弁当を作るお母さんが助かる学校給食について議論したいわけでもありません。

あなたなら、クラスの中に私のような存在がいたら何を思うでしょうか。

1人だけ違うその子にみんな関わろうとしない中、あなたはわたしに声をかけられるでしょうか。

わたしでなくてもいいのです。自分の意思決定とは関係なしにマイノリティになった人にどんな態度を取るのでしょうか。

学校で、会社で、電車の中で、

街頭で、SNSで、家庭で

多数派と少数派

良い悪いとかいう話ではなく、一人一人が個人として尊重しあうことができているでしょうか。

クラスの人はわたしの近くを通る時、鼻をつまんで息を止めて素早く通るなどの遊びをしていた時期もありました(クラスの人にそんなことをさせてしまってる自分が恥ずかしかったです。)

クラスの人が悪いわけではない。

ましてや母が悪いわけでもない。

わたしだけが悪いってこともない。

けど、少なからず孤立を生む原因を作っていたのがわたし自身だった言うことは分かっているんです。

今、わたしは自給自足の暮らしを目指して、農を基盤に自然とともに生きていく道を歩んでいます。今だから小・中学生の時わたしや母自身の辛さを押し殺してまで弁当を貫き通してくれた母に感謝の気持ちを持てます。

多分みなさんは疑問に思っていることでしょう。なぜ給食がダメなのか。

それは自分の畑で採れた野菜を食べていればわかります。豚や牛やニワトリがどんな過程の後精肉となりスーパーに並ぶのか、少し調べればきっと理解してくれるはずです。

この地球は人のためだけにあるものではないんです。

なにかの命を奪い食すことは、生きる上で必要不可欠だからこそ、自分の手で責任を持って殺すなり、収穫するなりしたいんです。食卓に並んだ命を噛み締めることが必要なんです。

わたしのような考えがみなさんの日々の中に当たり前に根付く日を待っています。

明日も良い時を。

2019.5.31    春寒菜花

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