はじめまして。春寒 菜花と申します。以後お見知り置きを。 初夏のにおいがもう鼻の先までやってきました。皆さん、いかがお過ごしでしょうか。 私は自然の一部だと言うこと。それをここでは、いやこれからどこにいても、ずっとそのことを言うつもりでいます。 いわゆるスマートフォン。 いわゆるSNS。 それらのものを用いて私がしたいことは、いつからか癖になった言葉を綴ること。 万人ウケする話ではないけれど、それでも私は確信がある。これからの社会で…いや、私たち生きるもの全てがこ
今生きてる命、山に生きてる命、都会で右往左往する命。 どうせ死ぬなら、とことん自然のまま…。 石油も電気もガスも使わず、お金を持ち合わせてなくとも生きていける野生になりたい。 死ぬ場所を探して彷徨い、 古い幹に寄りかかり死にたい。 おかしいだろうか? 人が海や森を汚しているのは、紛れもなく事実。 戦争で人以外にどれほどの命が犠牲になったことか。 朝起きて、暖房をつける。 電子レンジで朝食を温める。 トイレに消臭剤。 洗濯機に服と、洗剤やら柔軟剤を入れる。 車、もしく
長いんだけれども、わたしがなぜ小屋を建てて 電気のない暮らしをしているのかの話。 つい先日、オイルランタンが手に入ったので、明かりとして使用してた充電式のキャンピングライトも手放せそうです。 私の生まれ育った家では、自然農や自給自足の生活を学びたいという研修生を受け入れていた。 何人かの研修生は4畳くらいの小屋をやまなみ農場の敷地内に建てて住んでいたのを見ていた。電気はコードリールを使って引いていたけど、水はタンクに汲んで来てたと思うなぁ。 わたしは誰の目にもつかないと
まず21歳のわたしが父に教えてもらいながら建てた小屋について。 舗装されてない道を100メートル弱入ったところに、2018年の5月から少しずつ建て始め、 父には「練習だから」と言われつつ教えてもらいながら、多少の技術は身についたつもり。 水平や直角を出したり、丸ノコやインパクトドライバーを使っての作業に慣れて。 大体完成という2019年の4月に完全に引っ越し。 二畳分が土間で台所。 四畳が畳。高めのベットを作って下は衣類などを置く収納。壁掛け棚やテーブルは自分で適当に作
私自身が言葉で詩を作ったり、想いを伝える人だからって言う理由で、amazarashiの秋田ひろむを紹介させてもらいたい。 私は音楽に疎い。 ただ、秋田ひろむの言葉には心打たれるばかり。 amazarashiは中島美嘉に「僕が死のうと思ったのは」という曲を提供したり、最近は菅田将暉にも楽曲を提供していた。 青森県出身、在住の秋田ひろむ率いるロックバンド。「日常に降りかかる悲しみや苦しみを雨に例え、僕らは雨ざらしだが‘それでも’というところを歌いたい」からamazaras
僕のパパが子供の頃は、 車なんてほとんどなかったってさ 車が通れば見えなくなるまで見つめていたパパは今じゃ四駆の軽トラックを乗り回してんぜ 茜色の空に飛んでるのはカラスと鉄の塊 茜色 赤とんぼ 茜色 赤とんぼ どこ行った 茜色 赤とんぼ 茜色 赤とんぼ 許しておくれ 茜色 赤とんぼ 帰っておいで 赤とんぼ 時代の流れは早すぎて、乗り遅れちまったら次の列車まで三時間待ち 僕が死ぬ頃には人間じゃない人間が町を歩いてるんじゃないかって いや いよいよ人は街を歩けなくなる
分かってる。 分かってる。 被曝してること。 放射能が漏れたこと。 原発が爆発したこと。 原発を必要とする社会になったこと。 分かってる。けれど望んではいけませんか。 全部無かったことにできるのなら、 全部嘘だと言ってくれたなら、 明日には不安が消えて、笑えるのでしょうか。 みんなで輪になって、これからの暮らしを豊かにできるのでしょうか。 わたしも笑ってオリンピックを応援して祝えるのでしょうか。 明後日には帰ってこれるだろうと家を出たきり、 あの家で
今、世界は「都市」を価値あるものとして大安売りしている。 明日を生きていくことさえ諦めてしまえるほどの過酷な社会を、うたい文句にしている 持っているものは空に近くて、 持ってないものは地面に段ボール一枚。 都市に手が届かなければ 地方都市がお手頃価格です。 見捨てられた過疎地。 閉鎖された放射能管理区域。 世界に充満する汚染ガス、 世界は空気の汚染が好き、 海を油で覆って、山と喉を枯らす薬を 青空横切る飛行機が撒いていく。 マイクロプラスチックに踊らされたイカを
赤い長靴履いた 朝露に濡れながら摘んだ小さな花 朝日に照らされて 昨日流れた涙が染みた土の匂い 朝日に照らされて踊り散らかしてる 眩しい光が見せる寛容なメロディー 苦虫が羽を広げ旅立つその姿が 明日の僕のようだった 過去を振り返れば 胸張れるようなことなんてないのに 自分を許すことを覚えて とりあえず明日に希望を写す鏡を探した 木漏れ日にうたた寝しながら 夢を見てたんだ
三人の若者が六畳あるかないかくらいの小屋で ロウソクを灯して正方形のテーブルを囲んでいた ロウソクの灯りを頼りに2人はギターを奏でて もう1人は手紙を書いていた 手紙を書いている人がこの小屋の主だ ギターを弾いてる2人は 今日の昼過ぎ 鈍行列車を乗り継いで訪ねてきた友人だ 彼 彼女らは何を話すでもなく その空間に空気のように存在した 家族の中にはない 満員電車にはない テレビの中にもない 携帯電話の中にもない 小さな空間に充満する穏和な空気 当たり前のように愛され
…街のゴミステーションを漁って生きてきたカラスが、ある日電信柱に止まっていました。 すると山の方から帰ってきたカラスたちが囁いているのを聞きました。 山で1人暮らす人がいた。 電線もない。他に人の気配もない。 あそこに人のゴミはないな そう言いながら自分たちの住処へ飛んで行きました。 なぜそんなとこで暮らしているんだろうと気になり、次の日昨日カラスが飛んできた方へ行ってみることにしました。 しばらく山を飛んで行くと 小さな小屋の煙突から煙が出てるのが見えました。あそこ
僕らの字が書かれた紙ペラに押されるハンコ 「大変よくできました」 よく出来たかどうかは 誰かに決められるものではないのだけれど 過去を生きた自分に今の自分が胸張れるかどうか 後悔する暇はない なのに平均台から落ちないように いつもバランスを取って 誰かに背中を押されれば たちまち落ちてしまう そんな不安定な場所に僕は居られなかった 僕は獣道くらいの細さがちょうどいいことに気づいていたから 気づいたら獣道を掻き分けて 死に場所を探すような人生 人の掃き溜めた
風を切って走る田舎列車 翼を風に預けたトンビを追い越した 赤信号で踏切が閉まる時 自動ドアの速度に焦らされる時 バカをして笑い合う時 いつも等しく同じ時が進んでる また一つ知らない駅に着く 隣に座って来た彼女が着ている服が放つ 鼻を刺す柔軟剤の匂いでここが都会に染まってること思い出す 社会の時間割が薄れた身体 田舎列車に充満する確かな居心地の悪さ 僕の視線が泳ぐ 僕はどこに居るんだろう この列車に希望を託すことを諦め 知らない駅で下車した そこは砂利
春寒菜花というのは、その名の通り春まだ寒さと暖かさが交差する季節に咲く菜花を示している。 菜花が咲いて種をつけて、そして零れ落ちる。 同じ季節再びこの地に花を咲かせる。 菜花と言っても、菜種油用の食物や収穫しきれなかった白菜が董立ったものもそれに当てはまる。だから菜花という名前の野菜や草はない。 私は自然の中で名前というのはそんなに多くなくていいんだと思う。 あだ名やカルテに書かれる病名、LGBT、職業、ネット用語。さまざまなものに名前をつけ始め、区別しないと気が済ま