テーラワーダ仏教(『日本宗教史のキーワード』より)
佐藤哲朗
布教伝道の現場から
近現代の日本で断続的に試みられてきたテーラワーダ仏教(上座仏教)受容の歴史は井上ウィマラ[井上 二〇一六]、藤本晃[藤本 二〇一六]、青野貴芳[青野 二〇一四]に詳しい。本稿では、布教伝道にたずさわる当事者の視点から所見を述べたい。学生や研究者の皆さんが考えるヒントにしてもらえれば幸いである。筆者は二〇〇三年の春から宗教法人 日本テーラワーダ仏教協会(一九九四年設立。以下、協会)に勤務し、主として機関誌や書籍の編集、インターネットを通じた布教伝道に従事してきた。国内で一時出家も体験した。日本におけるテーラワーダ仏教の実勢については、統計がなく確かなことは言えない。協会に属する寺院は国内三ヶ寺のみだが、他団体やテーラワーダ仏教圏の出身者が建立した寺院を併せると二〇ヶ寺は下らないだろう。日本人比丘はまだ少ないが、出家儀式を行う戒壇(sīmā)も国内に複数設定された。宗教的なインフラ整備は、ここ十数年でかなり進んでいる。協会の会員(月刊機関誌『パティパダー(Paṭipadā)』定期購読者)は全国で二〇〇〇名程だが、ほぼ全員が日本人或いは日本語ネイティブである。会員には伝統仏教諸宗派の僧侶や仏教系新宗教の教師職、また非仏教徒も含まれる。一方で、入会はしないものの協会行事の常連だったり、協会宛に定期的に布施したりする例も少なくない。会員自主活動である「ダンマサークル」も全国で盛んだが、こちらも非会員の参加を歓迎している。ウェーサーカ祭やカティナ衣法要といった大きな法事には、スリランカやミャンマー、ネパール(仏教徒のネワー民族)出身の人々も家族連れで参集する。
出版メディアにおける存在感
協会周辺に限っても、かように曖昧な日本のテーラワーダ仏教だが、出版メディアにおける「存在感」だけは確固たるものだ。協会の指導者にあたるアルボムッレ・スマナサーラ(Alubomulle Sumanasāra,1945-)の著作は、二七万部以上を頒布した『怒らないこと』(二〇〇六年)はじめ商業出版だけで二〇〇タイトルを超える。他にもタイで出家した日本人比丘プラユキ・ナラテボー、ミャンマーで出家し後に還俗した井上ウィマラ(高野山大学教授)、西澤卓美、浄土真宗寺院の出身ながらテーラワーダ仏教に強い影響を受けた小池龍之介、藤本晃など、日本の出版界にはテーラワーダ系の仏教書ジャンルが確立している。マハーシ・サヤドー(Mahāsi Sayādaw, 1904-1982)、アーチャン・チャー(Ajahn Chah, 1918- 1992)、ポー・オー・パユットー(Prayudh Payutto,1938-)、アーチャン・ブラーム(Ajahn Brahm,1951-)、ウ・ジョーティカ(Sayadaw U Jotika,1947-)といった海外僧侶の著作も多数翻訳出版されている。電子書籍やインターネットでの発信を含めれば情報量はさらに増える。協会の会員に限らず、一般の日本人とテーラワーダ仏教の接点は概ね書籍やネットであり、行事に参加する場合もいわゆる「法事」ではなく、瞑想会や法話会に個人で参加するケースがほとんどだ。たまさか会員になっても布教や献金の義務はない。個々の熱心度に違いはあれども、強固な「しがらみ」を形作るコミュニティ宗教の要素は希薄である。さらに言えば、会員であってもテーラワーダなる特定宗派に帰属意識を持つ人がどれだけいるか疑問だ。むしろスマナサーラの言葉を通じて、「宗派以前のブッダの教え」に触れていると感じる人が多いかも知れない。ブッダ本来の教えとは「純粋な科学」であり、テーラワーダであれ大乗であれ、そこに付着した宗教色・信仰・民族文化は「汚れ」に過ぎないというのが、スマナサーラの決まり文句である。
「原始仏教」というドメイン戦略
矢野秀武[矢野 二〇一二]によれば、現代日本のテーラワーダ仏教への共通了解は、大乗仏教より劣る小乗仏教、ブッダ時代の「原始仏教」を引き継ぐ仏教、パーリ語聖典に見られる思想としての上座仏教(宗派の教え)、各地域別のエスニック上座仏教(スリランカ仏教、タイ仏教など)、といったイメージに分断されている。これらの項目の中で、日本人の「需要」が大きかったのは「原始仏教」の領域であった。その背景として、西洋由来の近代仏教学による古代インド仏教研究、パーリ仏典を普及させた中村元(一九一二~一九九九)の業績などが挙げられている。日本の近代化過程で学術面に限らず信仰面でも一定の需要が生み出されたにも関わらず、「原始仏教」を基盤とした寺院や僧侶はほとんど(まったく)存在せず、信仰面の需要は満たされない状況が続いてきた。「スマナサーラ長老を中心とする日本テーラワーダ仏教協会のドメイン戦略」がこのポイントに即していたとする矢野の分析は、協会運営に関わった立場からも頷ける。ただしスマナサーラは、未発達な仏教という意味を含む「原始仏教(Primitive Buddhism)」を避けて、より価値中立的な「初期仏教(Early Buddhism)」を用いている。また、「ブッダは信仰を否定した」という言説で「原始仏教」への信仰面の需要を逆説的に掬い取り、戒や瞑想といった「仏道の実践」へと人々を導いている。テーラワーダ仏教への共通了解のうち、「大乗仏教より劣る小乗仏教」という偏見は強固だった。歴史的に大乗仏教が栄えた日本で、「小乗仏教」とは実体のない批判対象であった。それが近代化によって現実のテーラワーダ仏教と同一視され、「劣った仏教を奉じる遅れたアジア」なる差別意識とともに、アカデミズムや公教育の場において無批判に再話され続けたのである。近年この語が廃れはじめたとすれば、アジア諸国出身者ではなく日本人が「当事者」として批判の声を上げ始めたからだろう[佐藤 二〇一三]。その前史として青木保『タイの僧院にて』(一九七六年)を嚆矢とする文化相対主義の眼差しが、テーラワーダ仏教へのフラットな理解を促したことも指摘しておきたい。話を戻せば、釈迦牟尼ブッダに直結する「原始仏教」イメージは、近現代の日本で「あるべき仏教」の理想形として形作られていった。昭和後期に伸長した仏教系新宗教が教団名に原始経典を意味する「阿含」を冠したり、パーリ語の礼拝文を取り入れたりしたように、そのイメージを実体化させんとする需要または欲求はつねに存在していたのだ。「初期仏教」の合理性と科学性を強調するスマナサーラの言説と「正念」のエッセンスを伝える瞑想指導(後述)は、一連のオウム真理教事件(一九八八~一九九五年)が決定づけた宗教忌避の風潮とも相俟って、テーラワーダ仏教を「脱宗教的な実践体系」として日本社会に受容させたのではないか。
日本仏教にもたらした変容
近代仏教史の範疇では、テーラワーダ仏教の日本移植は挫折の連続だった。釈興然(高野山真言宗、一八四九~一九二四)は、一八九〇年(明治二三)に留学先のスリランカで比丘となり、帰国後は外護者を得て日本比丘サンガ設立を期したものの失敗に終わった。さらに戦後の一九五〇年代、日本曹洞宗の青年僧侶たちがミャンマーのマハーシ・サヤドーのもとに参じヴィパッサナー(vipassanā,観)瞑想――教学上の説明は措くが、次に触れる「気づき」の実践と同義――を学んでいる。現代の修行者からすれば羨ましい話だが、本人たちは苦痛だったようで、帰国後にその学びが注目されることもなかった[小島 二〇一六]。当時、日本ではテーラワーダ仏教は「戒律仏教」と見なされており、瞑想実践(bhāvanā)への関心や需要も皆無に等しかったのである。
それから数十年を経て、日本人のテーラワーダ仏教観は「戒律仏教」から「瞑想仏教」へとがらりと転換した。そしてテーラワーダ仏教の瞑想メソッドは、日本仏教のあり方にも変容をもたらしている。すでに人口に膾炙した「マインドフルネス(mindfulness)」は、仏教用語「念(sati,smṛti)」の英訳である。そして、このマインドフルネス及びアウェアネス(awareness)から重訳された「気づき」なる日常語が、日本仏教における伝統的な「念」解釈を更新したのだ。従来、八正道の正念は「正しい記憶」「正しい思念」など、具体的な実践と結びつき難い単語に訳されていた。そこにテーラワーダ仏教のサティ概念が(英語経由で)移入されたことで、仏道の要諦たる「正念」の実践が一気に普及したのである。
二一世紀になって、宗主国アメリカからヴィッパサナーをアレンジした「マインドフルネス瞑想」が本格導入されると、この傾向に拍車がかかった。テーラワーダ仏教色が強い「ヴィパッサナー」の受容には抵抗していた伝統仏教界も、アメリカ流の「マインドフルネス」ならば容易に受け入れた(出世間を志向しない点を除けば、内容はほぼ同じなのだが)。現在では宗派を超えて伝統仏教の僧侶が「マインドフルネスコーチ」の肩書を掲げて活動するまでになっている。
イメージと実像の乖離
開国以来の紆余曲折を経て、「原始仏教」志向の受け皿となることで橋頭堡を築いたテーラワーダ仏教は、日本人が国内でアクセスできる仏教の一つとして定着したと言えるだろう。その一方、「原始仏教(初期仏教)」あるいは「瞑想」をドメインとした伝道のあり方が、テーラワーダ仏教の実像と乖離を生んでいる側面もある。例えば、テーラワーダ=瞑想仏教というイメージを抱いて「本場」の仏教に触れると、大半の仏教徒が「瞑想」に関心を持たず、祭礼や布施儀式に熱心な姿を目撃して困惑することになる。これは、アメリカやヨーロッパで禅堂に通い、いざ「仏教国日本」を訪ねてギャップに驚く欧米仏教徒の感覚に近いかもしれない。さらに近年は、スリランカ・ミャンマー・タイで頻発する仏教と他宗教の「宗教対立」、アシン・ウィラトゥ(Ashin Wirathu,1968-)らナショナリスト僧侶によるヘイトスピーチなどが頻繁に報じられ、テーラワーダ仏教への日本人の好意的印象に不穏な影を落としている。「脱宗教的な実践体系」だったはずの教えが、極めて偏狭な宗教の「毒」をふり撒くさまを見せられれば、興醒めも仕方ない話だろう。かくして「テーラワーダ仏教のリアル」と対決を迫られる日本のテーラワーダ仏教(原始仏教ドメイン戦略部門)。布教伝道の波頭から見える光景は、このようなものだ。
【参考文献】
井上ウィマラ 二〇一六「欧米・日本の上座仏教」、パーリ学仏教文化学会 上座仏教事典編集委員会編 二〇一六『上座仏教事典』めこん
小島敬裕 二〇一六「ミャンマー上座仏教と日本人――戦前から戦後にかけての交流と断絶」、藤本晃 二〇一六「テーラワーダは三度、海を渡る――日本の土壌に比丘サンガは根付くか」大澤広嗣編『仏教をめぐる日本と東南アジア地域』勉誠出版
青野貴芳 二〇一四「日本のヴィパッサナー瞑想史」蓑輪顕量監修『別冊サンガジャパン① 実践!仏教瞑想ガイドブック』サンガ
矢野秀武 二〇一二「タイ上座仏教の日本布教――タンマガーイ寺院についての経営戦略分析」中牧弘允、ウェンディ・スミス編『グローバル化するアジア系宗教 経営とマーケティング』東方出版
佐藤哲朗 二〇一三『日本「再仏教化」宣言!』サンガ
(初出:大谷栄一・菊地暁・永岡崇 編著『日本宗教史のキーワード――近代主義を超えて』慶應義塾大学出版会,2018)