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推しメンは好きだけどグループは嫌いという定型文

硬い殻に閉じこもっているように

僕は、「推しメンは好きだけどグループは嫌い」という定型文を使いこなしてきたほうだと思います。

・推しのメンバーが番組にでない。
・舞台等の出演が決まっても(う〇こ)百〇子ちゃん政策のせいで見ることができない。
・直接会うことができない。 etc...

今までは、推しメンにチャンスがなくても、
”『会って』想いを直接伝えられる”から、限界まで自己満足をすることができたけど、コロナ禍の今ではそのオナニーすらすることができない。

その不満が”運営批判”という形で現れ、他のメンバーと比較を繰り返し、グループ自体に興味がなくなっていったんだと自己分析しております。

アンダーメンバーを応援されている方は、同じ境遇の方も多いのではないでしょうか。(誰しもが心が強いわけではないので)


ただ、この推しメン好きグループ嫌いの定型文。
今こそ、推しメンの力で覆される瞬間がきたのではないかと思います。

なぜなら、
中村麗乃さんがきっかけで乃木坂46に興味をもつ方が存在しているから


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少し僕の過去の話になってしまいますが、

僕が乃木坂46に興味をもつようになったきっかけは、友達に強制的に連れていかれた握手会です。そこで橋本奈々未さんを見て、「人間じゃねぇ」という感想を抱いたことから始まるのです。

そして、さらにもう一歩。齋藤飛鳥さんの存在も大きかった。3期生が入る前、画面越しで一番気になる方が齋藤飛鳥さんだったのです。不器用ながらも自分を貫くような姿に惹かれたんだと今では思っています。


この経験から何が言いたいかというと、今のれのちゃんは過去の橋本奈々未さんにも齋藤飛鳥さんにもなりえる可能性がある。むしろ、なっているんじゃないかということです。

昨日のアンダーライブを見て、Twitterという狭い世界ではありますがその反応を見て。今までの舞台の反応を見て。れのちゃんも誰かのきっかけになっているんだと実感したんです。


そして、最近乃木坂を気になりだした方はもちろんですが、
先ほどの定型文を使っている方も、再度興味をもつきっかけとなるのではないかと思います。


要するに、推しメンの頑張っている姿を見てきたからこそ、好きだからこそ、存在を再確認し、再度グループに興味がもてるのではないかということ。

つまりは、
中村麗乃さんがきっかけで(乃木坂46の)中村麗乃さんが好きになる。


日本語としてはかなりおかしいですけどね(笑)


ただ、こう思えるのはバランス感覚がかなり必要になるんじゃないかなって思います。前の仕事を続けていたらこうは思えなかったでしょうし、心に余裕のある今だからこそ思うのかなとも思います。

また、最近は齋藤飛鳥さんが昔言っていた「期待しない生き方」みたいなものの真意に触れているような気がしているのも影響しているかと思います。

「期待しない」というとマイナスな感情に聞こえますが、これは最強のバランス感覚がもたらした考え方なんじゃないかなと推測しています。これについてはまた書きたいなって思ったりしています。


まぁ、要するに心に余裕がもてるようになって、様々な考え方ができるようになったとでも捉えていただけますと。

推しメンのおかげで気分が沈むこともあれば、推しメンのおかげで気分があがることもあるのです。


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グループに興味がなくなる理由はすごく分かります。。

「推しメンが所属しているグループは乃木坂46なんだぞ!!!」

って言われても、「そういうことじゃないんだよ!!!!」って返したくなる気持ちなんですよね。分かるってばよ(本当に分かる)。

ただ、相手の気持ちを汲み取るだとか、すべてが手に入るわけじゃないという一種の諦めみたいなバランス感覚だとか、そういうものがないときっと推しメンの想いすら分からなくなってしまうんだろうなぁと思ってしまいます。(昔も今も分からないけど(笑))


選抜だとか
番組出演だとか
ライブの機会だとか。

どれも競争の世界の中で、比較し、比較され評価されるものです。これは現代の資本主義(?)的な社会ならしょうがないんでしょうねきっと。

ただ、この競争すら楽しむ競争を超えた不確かな愛みたいなものを楽しむことがアイドル(乃木坂46の場合)というコンテンツなのかもしれないなと最近は思います。


きっと、れのちゃんはこのことに気づいていたのかもしれませんね。

何しろ、「楽しむ!」は彼女の口癖なのですから。



ではでは。

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