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感謝の強要

「○○しているだけで幸せだよ」
「○○できるだけ感謝だね」

オタクをしている間、また普段の生活の中でもそのような言葉をよく耳にしていた。その言葉を聞くたびに僕は、「達観しているなぁ」と感じてしまう。

と同時に、僕はそのような人たちにはなれないのかなとも思う。

なぜなら、「本当にそのように思っているのか?」と疑問視してしまうからだ。

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僕は、感謝や幸せを感じる「ハードル」は人それぞれで違うと感じている。

なぜなら、育ってきた環境も違えば、お金の価値観も違う。
それぞれ生きてきた背景などは互いに想像し、判断するしかないからだ。

僕は、就活で必要だとされている「コミュニケーション能力」の一部に相手の背景を想像できるかどうかというものは大きくかかわっていると感じる。だって、地雷を踏みたくはないし、相手のツボが分かっているほうが話しやすいじゃない。

要するに、この「ハードル」の高さを想像できない限り、相手と共感をすることは難しくなるし、自分は「感謝」するべき事象だと思っていても、相手が同じように思っているかどうかなんて分からないということだ。


僕が、「○○するだけでも感謝だね」という言葉に疑問視をもってしまうのは、このハードルが高いから。それだけのことである。

ただ、ここで僕が唱えたいのは、この「ハードル」が低い人どうしで、「感謝」という言葉を盾に、僕たち(感謝のハードルの高い人)のことを理解しようとしていないのではないかということだ。


つまりは、「感謝」「幸せ」の強要をしていないかということだ。

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例文:

「今は、コロナ禍で、まともに握手会もできない。そのような中で"どんなにシステム障害が起きても"、オンラインで話せるなんて感謝"しないと"


え、本当に??????????


感謝をする。幸せだと思う。

それはあくまで発言者の判断であって、それを「正論」として人に「強要」する人に、僕はみじんも尊敬の念を抱かない。


そんな方より、僕はよりみんなが満足できるような状態に近づけるように行動する人や、相手の不満を引き出して、「ハードル」を下げてくれる人のほうがよっぽど尊敬ができる。


「ハードルが低い」ということが美徳じゃなくてさ、「ハードルが高い」ことを受け入れて動くことがきっと美徳なんじゃないかなと。傲慢ながらそう思っちゃうわけなのよ。本当に「ありがたい」と思った時だけ、尽くしたいのよ。(お前がハードル下げる努力しろよっていう声も聞き飽きてるし、努力もしている)


そういえば、「達観している」ってどんな状態だろうと思って、調べてみたけどこんな意味だった。

1.全体の情勢や将来をよく見通すこと。
2.細かい事に迷わされず、道理・真理を見きわめること。また、物事にこだわらず、どうなろうとも動じない心境になること。

ここで言うと、僕が差していたのは2の”物事に動じない”っていう部分だったな。。


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まとめると、「感謝の強要」は相手を窮屈にさせるだけだよっていう話でした。

正直、「感謝したふり」がうまい人だっているからね。

あくまで、自分が思うこと。感じたことを第一に。


ここまで読んでくれて”感謝”してるぜ。



ではでは。

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