子育て中の2年ぶり何度目か
ゆうべ、長男が夫と『パイレーツ・オブ・カリビアン』を見て、「脳みそが飛び出るくらいおもしろい。」と言った。
誰の模倣でもない言葉の組み合わせで自分の気持ちや情景を表現できるって、うらやましいくらいすてきだ。
彼は普段から自分の気持ちに敏感だから、他者との生活のなかで恥ずかしがりに、気持ちの切り替えが苦手に、癇癪もちになる。
わたしは長男のそういうところが生きづらいのではないかと思ってひとりやきもきしていたけど、それはわたし自身がおなじタイプであるということに加えて、「こうすべき」という場の論理と「こうじゃないと恥ずかしい」という日本的羞恥心をつよく持っていたために生きづらかったのであって、長男には今のところ後半ふたつの性質が育まれていないので、ひょうひょうと生きている。
わたしはそんな彼のことを「かっこいいな」と思う。
が、似たもの同士なのでめちゃくちゃ喧嘩する。
おたがいに相手のことばのちょっとした言い回しや口調に勝手に傷ついたり腹を立て、さんざん感情がざわめいたあとに、こんなはずじゃなかったのに、なかよくしたかったのに、と悲しくなる。
ゆうべも眠る前に些細なことで喧嘩して、最後はおたがいに悲しくなり、「なかよくねむりたかっただけなのにね」と言い合ってくっついて眠った。
* * *
次男はたいてい上機嫌で、割と単純なひょうきんもの。気持ちの切り替えもはやい。
だからなのか、いつもぎりぎりを生きている母は朝が来るたびに忘れてしまうが、彼はいま、空前絶後のイヤイヤ期に突入している。
今朝はおむつを変えようとしたらいやだいやだと大騒ぎして「こっちがいい!」と夜間を耐え抜きぱんぱんに膨れ上がったおむつに執着し、最後には無理やりあたらしいおむつを履かされて悔しかったのか「ばかやろう!」と叫んでいた。
しかししばらくするとけろっとして、むちむちすべすべの腕をわたしの首に回して「ままだいちゅき」と頬ずりしてくれる。
うれしくなってそのすべすべのほっぺにキスすると「きたないね」と言われた。
お、おう・・・。
そういえば、次男はまだ乳児のころとほとんどかわらないか、変化があったとしても誤差程度な気がしているけども、よくよく振り返れば衝撃的に成長している。
以前は腕が短くてばんざいしても頭のうえで手をあわせることができなかったし、ことばをしゃべることもなかったし、スプーンを使って自分で食べたり兄について走り回ることもなかった。
生まれたてからの約1年間の成長の衝撃がすぎたあとは、だいたい2年おきくらいに我が子の成長を認識して衝撃を受けている気がする。
この衝撃をあと何度か繰り返すと、わたしの子育ては終わるのだ。