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読んだ「歌の心を究むべし」濱田芳通 著(2017 アルテスパブリッシング)


ある音楽を聴きながら、それに関する本を読むのが
至福の時なのです。音楽は何を聴こうか。

濱田さんのリコーダーと、黒田京子さんのピアノの、即興。

(あやうく日本のファンク・グループ「在日ファンク」を
 持ってくるところでした。
 濱田さんの本に16ビートの話が出てきたもので。)

ルネサンス~バロック期の古楽を演奏する濱田さんが、
ジャズピアニストの黒田さんと、即興ですから。意外でした。
濱田さんはマイルス・デイヴィスがお好きなようです。
本に書かれてました。

濱田さんの言葉は、対談動画か、本くらいでしか受け取れませんからね。
貴重です。
音楽としての言語は、演奏によって聴けますけど、
すこし左脳でも受け取りたいじゃないですか。
それで、今回の本ですが、濱田さんの音楽より、
面白いんじゃないだろうか。(失礼しました。)

濱田さんの、飾らない、自然体で、気取らない、警戒なく思った事を言ってしまう、例え話が身近で共感できる。。。ところが良かった。
音楽の専門的なところは、分からないので読み飛ばしてますが、
感じ方や考え方に共感できるから、音楽を選んだのだし、
本を読んで、濱田さんのことが、より好きになりましたね。

解剖学者の故・三木成夫さんの著書『生命とリズム』からの文章(省略)を引用して後の、濱田さんの文章、以下。

「リズム=かたち」「かたち=命」であるとすれば、リズムのすぐれた演奏が「生き生きと」聴こえることに繋がる。そして、命があって生きていれば「物語」を作りやすいのだ。

章題「歌心のためのリズムはオフビートだ!」(P. 34)

面白いだけじゃなく、ためになる。なにかの。

濱田さん率いる古楽アンサンブル「アントネッロ」では、『天正遣欧使節の音楽』というアルバムを出している。これが興味深いが、プレミア価格だったので、ほっといたら、在庫(中古)がなくなった。アントネッロのCDをネットで見つけたら、買いかもしれませんが、私も欲しいので、買わないでほしい。

安心してください。『天正遣欧使節の音楽』は、動画で聴けます。

ルネサンス・スペイン、ポルトガルの歌は「日本のわらべ唄や民謡に似ているなぁ」ということに気が付いた。

章題「桃山ルネサンスの南蛮音楽~日本人のアイデンティティ」 (P. 93)

日本は、明治時代に、江戸文化を切り捨て、西欧文化にすげ替えたわけですが、ザビエルに日本が発見された頃から、西欧音楽は日本に混ざり込んだが故に、唱歌にも日本人になじんでいき、今では、その西欧ベースの音楽が、日本人の郷愁を誘う音楽となっているのではないでしょうか。江戸以前の音楽は、西欧音楽より遠き音なり。naka

16世紀のスペイン、ポルトガルは日本と逆周りで南米も発見し征服した。南米の今に残るフォルクローレは私に言わせれば、ルネサンス音楽の直系の子孫だ。

章題「桃山ルネサンスの南蛮音楽~日本時のアイデンティティ」 (P. 95)

アントネッロは、ルネサンス音楽の直系としての「ペルー音楽」のアルバムも出している。いま現在、入手出来ず。動画もなし。


ポルトガルを訪れた際、ポルトガルのミュージシャンに伍代夏子のかなり演歌色強めの曲を聴かせたところ、「日本語で歌ったイタリアン・ポップスだろ!」といっていた。

章題「桃山ルネサンスの南蛮音楽~日本時のアイデンティティ」 (P. 95)

そういうことなのでしょう。「(現在の)日本らしいもの」とは「(西欧文化の土台の上にある)日本らしいもの」。起きてしまったことを悲観しても仕方無く、ただ、その歴史を受け容れるのみ、かな。。。naka

しかし、面白いですね。
ファンク、ジャズから民族音楽、ワールド・ミュージックにも通じ、
そして、ルネサンス~バロック期の古楽を演奏されている方が、
歌心を大事にされ、昔の音楽に思いを馳せながら、イメージし、
昔の人との接点を持とうと努めている。。。いや、楽しまれている。
ルネサンス音楽の直系としてのフォルクローレかぁ。
フォルクローレは、改めて聴いてみたいと思います。



(動画で)着ている服、意外過ぎる。。。