ラインホルト・ニーバー博士の平静の祈り
日銀が、春分の日の前の日、異次元緩和の撤廃を発表をした日、私は、17時を回っても、職場で待っていました。
というのは、先週の金曜日、各部までの人事異動の発表はありましたが、その下の各グループの配属の権限は、各部長に委ねられていることから、その発表があるかと思って待っていたのです。
結果として、発表はなかったのですが、どのグループに配属されるかによって、これからの1年間の過ごし方が、だいぶ異なるため、発表がなかったことはだいぶ残念でした。
サラリーマンにとって、人事は、最大の関心事であって、希望を上長に伝えることはできても、それ以上のこと、例えば、その結果に異論を唱えることというのは、基本的に禁じ手なんですね。
世の中には、「頑張ればどうにかなりそうなこと」と「頑張ってもどうにもならないこと」があります。
人事のことを言えば、自己申告書に記載するなり、折に触れ、上長に希望を伝えるなどのことは、「頑張ればどうにかなりそうなこと」であり、英語で言うと、コントローラブルなことです。
一方、人事異動に関しては、その結果が出てしまえば、あるいは、結果待ちの状態に関しては、「頑張ってもどうにもならないこと」であり、これまた、英語で言うと、アンコントローラブルなことなんです。
この二つは、自分の中で、峻別して、考えないといけないと言い聞かせたいですね。
元首相のA氏は、福島原発に関して、「アンダー・ザ・コントロール」と発言しましたが、-この発言に関して異論がある人もいますね-本当に「アンダー・ザ・コントロール」ならば、コントロールできることを対応していくに尽きるのですね。
世の中の悩みは、何か対応できることと、どうしようもないことがあるのです。
得てして、人間は、どうしようもないことを悩んだり、悔いたりするのです。
私は、受験期を迎えようとする高校2年生の頃、本屋で平積みされているある分厚い本を見つけました。
世界的な名著と名高い『道は開ける』(D・カーネギー著、創元社刊)という本です。
悩みのない青春時代なんてまずないと思いますが、私は、この本でどれだけ救われたかわかりません。
本の腹が手あかで真っ黒になるまで読み込み、今も、別に新しく買い直した同書をときに見返しています。
その中でも、印象的だった言葉があります(本当はたくさんありすぎて、一つにしぼるなんてことはできないのですが…。)。
アメリカの牧師であるラインホルト・ニーバー博士の有名な「平静の祈り」というものです。
「神よ、我に与えたまえ、変えられないことを受け入れる心の平静と、変えられることを変えていく勇気と、それらを区別する叡智とを。」
つまり、変えられること(コントローラブルなこと)に注目して変えていこう、そして、変えられないこと(アンコントローラブルなこと)は受け入れよう、さらには、その二つを峻別する知恵を見出そう、ということなんです。
人事異動に対する事前の働きかけに関してはやるだけのことはやったのですから、後は、アンコントローラブルなことなんです。
結果に対する異論は、基本禁じ手ですから、受け入れるしかありませんので、後は待つだけです。そのことを改めて想起すると、少し気分がラクになりました。
「平静の祈り」は人生の難局に使えますよ。