完璧主義ではなく、少しでもやる習慣を
「完璧主義者」と言うと、物事をきっちりやってくれて、何だか頼もしいような気もしますが、得てして次のような傾向があると言われています。
・完璧でなければ失敗と決めつける
・人に任せることができない
・慎重になりすぎて始動が遅い
・細かい点ばかりを気にして大局を見失う
・失敗を恐れて途中で投げ出す
こういった性質を持った方が、周りにもいるんじゃないですか、私も思い当たります。
以前、一緒になった同僚がこういう性質の持ち主で、自ら「完璧主義者」を自認していましたが、上記のとおり、仕事の取りかかりが常に遅く、締め切りギリギリに中途半端なモノを出してきて、最後には投げ出すことを繰り返していました。
人間とは、神ではないので、そもそも「完璧」のはるか以前にある存在なわけですが、「完璧」に近付こうとするのが悪いわけではないのです。
「完璧」に近付こうとして、目の前のことを一つ一つ、確実に、片付けていくのが求められているのですね。
ところが、「完璧主義者」を自認する人は、得てして、完璧でないと失敗とみなして、途中で仕事を投げ出してしまう傾向があるのです。
それって、ものすごくマズいことなんじゃないかと思います。
私は、「完璧主義者」にそういう傾向があるのを、認識していましたから、自らには、敢えて「漸進主義者」であろうと言い聞かせています。
漸進とは、「順を追って少しずつ進むこと」を意味し、「漸進主義者」とは、「完璧には至らなくても、順を追って少しでも進もうという心意気を持った人」のことを意味しています。
わかりやすい例えかどうかはわかりませんが、陸上自衛隊の隊員が、銃を持って、這いつくばって、敵の弾を避けながら、両腕で少しずつ前進して行くのを「ほふく前進」と言いますが、私のイメージ的には、敵陣に向かって切り込んでいく感じで、「漸進主義」という感覚にピッタリです。
※「漸進」と「前進」で、発音も同じですね。
モノゴトは、次第に良くなっていくのが常と考えています。
突然変異的・革新的に良くなるのは、極めて稀ですから、世の中のほとんどのことは、「改善に継ぐ改善」により、次第に良くなっていくものです。
「トヨタ方式」で有名となった「カイゼン」運動も、現場において、より良い製品を生み出そうとして、小さな手直し(例:この台を5cmだけ高くしよう、など。)を繰り返すことにより、あの世界のトヨタが作られていったわけです。
この「カイゼン」運動こそ、「漸進主義」以外の何物でもないと考えています。
自分自身の生活においても、何かしたいことがあるのであれば、例え、「あのラーメンが食べたい。」などという小さなことであっても、「でも、やっぱり大したことないんじゃない。」なんて、「完璧主義者」は結構な割合で、クチにしそうなものです。
「ダメでもともと。大したことがなくても、数百円の損。試してみなければわからないじゃん!!」くらいの気構えで、“軽いタッチで”やってみたらいいんだろうと思っています。
私は、何かしたいと思ったら、ほとんど待っていられないタイプなんです。未着手が本当に嫌いで、即、既成の事実にしたいです。
「思い立ったら吉日。」「チャンスの神様には前髪しかない。」は、本当のことと信じています。やりたいことがあったら、気楽に試してみようよ。「漸進主義」でね♡。