忘れたくない気持ちとバンタンソニョンダン
その時の記憶や感情とは次第に薄れていくものである。
昨日ふと思った感情は、
今日朝起きたことには忘れていただろうし、
どうしても残しておきたいと
今noteで書き綴ったこの言葉も、
明日の私では
リアルな体験にはならないのだろう。
そのために言葉や文字があり、
記録するという手段が存在するのかと思う
今日この頃である。
実際、バンタンのカムバから約半月が過ぎようとしており、
あの時の感情を思い出そうにも、
そうリアルには思い出せないものである。
時々バンタンたちがインタビュー等で
「アミに会いたいです」
「コンサートがしたいです」
と話してくれるが、
彼らもステージ上から見たARMYの姿を思い出しては、やはり思い出でしかないことにモヤモヤしたり、その瞬間の感情が記憶とともに少しずつ薄れていくことが怖くなったり、寂しくなったりするのだろうか。
そう思うと急に、彼らも同じ人間であることを忘れていたかのように思い出すのだ。
急に彼らを近くに感じることができる。
近くに感じれば
また、遠くに感じる瞬間もある。
ステージに立つ彼らのライブ映像を見るとき
海外の音楽番組に出演したとき
海外のインタビューを見たとき
何億ウォンのマンションがどうだのニュース記事を見たとき
映像を見終わって私が画面消したとき
あぁ、やっぱり違うんだと思う。
彼らと私は同じ宇宙人で地球人で、
ヒトでありアジア人で、
一番近いお隣の国に住む人だけれど。
明確にビッヒもといHYBEの商品であり
私は消費者だったと思い出す。
あぁ、また忘れていたよ、って。
そんなに落ち込むことはない。
どうしても思考回路がそちらに行ってしまうときはこう思うようにしている。
決まっていることで、
アイドルとはそういうものだ、と。
「winwinの関係の元である」
ということを抜きにしても、
同じヒト科の生物として、
彼らに劣等感を覚えることもある。
彼らは常に努力をし、
与えられた環境に感謝し、
その上目標をもって進み続けている。
運よくパン・シヒョク氏に見出されたから成功したわけじゃないのだと。
彼らが人として素晴らしいから、今、世界で一番人気の高いグループになったんだと。
私には何があるのだろう。
なにもなくて、
何もないことに落ち込むばかりだ。
こんなにも素晴らしい彼らに勇気づけてもらいながら、
私は何も成し遂げていないし、
何者にもなれない人間だ。
そもそも比べるべきではない存在で、
それでも比べてしまうのは、
「彼らと私は、違う世界に生きるひとだから」
と思いたくないからなんだ。
どうしても同じヒト科であること、
アジア人であること、
こじつけのような理由御託を並べて、
彼らが本当にこの地球上に同じ時代に生きているということを感じたいからなんだ。
馬鹿馬鹿しい結論で申し訳ないとも思う。
だけど、
こんな理由で
時々心に穴が開いたような感覚になって、
泣いてしまうことだってあるほど。
それほどに、彼らを尊敬している。
敬愛している。
感謝している。
最後にLet's BTSでのなかでの
ナムさんの発言を紹介して終わりにしたい。
アルバム紹介のコーナーで
「10代では“学校シリーズ”、20代では“Young foreverシリーズ”。皆さんの年齢とメッセージが合致しているような気がします。」
という言葉に対し
ナムさんはこのように語っている。
“その通りです。アルバムを作る時は今の僕たちに出来る事を基準に次のアルバムのコンセプトを考えます。だから10代では学校の話だし、20代前半では悩みなどを語っています。それが僕たちの強みだと思います。”
また、こうも言っている。
“四年前の自分達の姿を見て「ダサいな」と思うのではなく、「当時はあれが精一杯だった」と思うのがいいかと。”
自分自身を肯定することの大切さを教えてくれる言葉。
ナムさんだから言える言葉だと思う。
私も、
私の目で見るかけがえのない唯一の世界で
今できることを精一杯やる。
与えられた環境に感謝して
努力を惜しまないヒトになって
そうすれば
少しでも彼らに近づけるかな。
そうであって欲しいと思う。