【仕事やめやめ日記】2024/07/29
朝のルーティンが少しずつできてきている。会社辞めるタイミングで、坂口恭平さんの『生き延びるための事務』を読んで、自分の理想の生活ってなにかなというのを考えてみた。いまはそれを実際にやってみて微調整しているような感じ。
この記事を見て、わたしも実際にやってみるか!と当初(7/10に)作ったのが下の図。
でも実際はもう少し全体遅めになってるかも。ストレスの無い移動を考えると、↑で想定している時間は早すぎる(会社員ナイズドされている)。これは会社やめる前なので、まだ社会の常識的リズムが身体に残っていたんだな。あと、意外と会社だと朝の時間ってだるめだったけど、一人で考えていると朝に思考が深まることもあるなという気付き。移動しつつ、そのまま一人の思考タイムにすっと入る感じ。
まだ1週間フルで今の生活を試していないので、今週いっぱいやってみて、またグラフをつくってみようかな!
今のところ、一日の早い時間にフリーフローライティングをし、別の作業をして寝かせた文章を直してnoteにアップするというサイクルができてきている。このライティングの時間から気づきも生まれているし、もう一方の作業とのバランスも良い感じだ。
昨日よるごはんを食べにいったときに頼んだぱりぱりピーマンの美味しいこと美味しいこと。ただの生のピーマンなのかなって思ってたけど、少しの間氷水につけるんだね。でも今日の朝は普通に冷蔵庫で冷やしてたピーマンをそのままマヨつけて食べたけどそれもうまかった。
自分のやりたいこと考えているとこんなに考える力が湧くのだなという実感がはじめてあったかもしれない。今までいち企画職としてサービス作っているときは、あくまで人のビジョンへの共感ベースで、いくらそれを自分ごとに近くできていたとしても、完全に自分ごとではなかったのかもなあ。企画職としてユーザーやサービスに向き合うとき、私は人類学者としての力を使っていると思うのだけれど、それはあくまで他者の論理を理解して、インストールするという力なので、そこから自分のパッション・自分で燃えるためのガソリンみたいなものを生み出すのは結構難しいのかも。
自分がほしいと思っているものから仮説を作っていくという営みの入口煮立ってみると、あきらかに他社を追随するようなサービスや事業を作ることの意味のなさ(意義のなさ、と言っても良いかも)がますます際立っていくなあ。この世にあるもので代替できないからこそつくるわけで。もちろんビジネス的には、よく2番手が成功するみたいな話もあったりするので、単に儲かりシステム製造機と考えると意味はあるのかもしれないが。
それでもこのサービスなんの仮説があるんだろう?というような事業が生まれてしまうのは、収益性とコンセプトの両立が難しかったり、顧客ニーズから考えると需要サイドが成り立たなくなったりして、そのうちにだんだん当初の仮説からずれていってしまったことの結果なのだろうな。特に社内新規事業だと創業メンバー(もととなる仮説を作った人たち)に意思決定権がないのでますます難しい。
なにをやるか?に自分の思考が移ると、外から見た形としてのHow(起業するかどうかなど)はどうでも良くなって、具体的な生活と、具体的な理想の世界観と、抽象的なパッションだけが残るって感じがする(なんかうまく言葉にできないけれど)。前の日記で書いた、何者かになる、みたいな欲求が薄れて、なにをやるか、にそのエネルギーが向くみたいな感覚か。
ありがちなのが、考えすぎて煮詰めすぎてつまらないものになって捨ててしまうということがあるので、早めに人と壁打ちしていこう。作家の朝吹真理子さんがPodcastで語ってたエピソードを思い出す。書いた原稿を消したり、手を入れすぎてしまうクセがあるらしく、編集者に「握りすぎてくさった寿司ですね」と言われたという話。