【仕事やめやめ日記】2024/07/28
仕事の悪夢を見た。職場でどうしても相容れない人がいて、その人に立ち向かう夢。立ち向かうと書くとスカッとジャパンみたいに聞こえるけれど、社内で政治的なパワーを一定持っていた人で(権限はなかったが経歴やその人の対人スキルによって)、立ち向かうこと自体が精神的にとてもすり減った経験だったので、後味が悪かった。3時ごろで、すこしSNSなどを一通りみてもポジティブな気持ちにはなれず、なんとなく眠れない時間を過ごした。一連の社内政治やや巻き込まれ事件によって、自分の芯はさらに強くなったし、ぐんっと成長できる機会にはなったと思うのだけれど、それでも最悪な気持ちに何度もさせられたことも記憶に残っていくのだろうな。寝る前に『人を選ぶ技術』とかいう本を読んでいたせいかもしれない。
朝もまた悪夢を見ていて、一つは実家の犬をだっこしながら車の後部座席に座っているのだけど、他にも犬が2匹いて、チワワがめちゃくちゃに噛みついてきて、それに実家の犬が反応して暴れる(もう1匹のめちゃでかポメラニアンは真ん中に座ってた)というプチ悪夢だった。そのあともう一つの悪夢を見たけれどそちらの内容は忘れてしまった。つかれて目覚める。
朝から掃除をする。昨日いくつか収納ケースを頼んだので机の上にばらばらと置かれていた薬やら日焼け止めやらを収納し、本も整理。昨日本を売るぞ!と意気込んで古本の集荷を頼んでいたので、その準備もする。
昼は冷凍していたトマトソースと、冷凍揚げなすと、冷凍ひきにくと、余った長ネギでパスタにする。
会社をやめてから、生活を突然取り戻した。というか、生活からもヒントを得たいなと思ってあえてやっている感じはする。この半年間くらいは仕事に必死で、あまりそういう余裕もなかった。
実家を出てから大体5年くらい経っているけど、当初はすごく肩ひじはって「生活」をやっていた気がする。というか最初は自炊がまったくできなかったので、べちゃべちゃのチャーハンとか、蒸しブロッコリーとざるうどんを一緒に食べたりしていたが、そこから1年で料理がすこしずつできるようになっていった。(いま懐かしくて当時の写真を見返してみると、生ハムをスープの中に突っ込んで普通のハムにしていた)
その後1−2年は自粛生活もあって、なんか丁寧な暮らしをしないとという気持ちと、お金がないという状態がまぜこぜになって、ものを買わないでありもので掃除や収納をしたり(すべてを重曹とクエン酸で解決しようとしていたことがあった)、変に頑張ってた。そのわりに、料理しているときには落ち着かず、一度に何品も作ろうとして焦がしたり、慌てて盛り付けて見た目が美しくなかったり…
直近1年で、落ち着いて動く・無理せず必要なものは買うか、外部に依存する・制約を設けすぎない(xxを食べない、冷凍食品買わないなどの制約)ということができるようになってきて、より自分にしっくり馴染む、等身大の生活になってきた気がするな。料理しているときも、野菜をじっくりと弱火で焼いたり、ちゃんとパスタソースの準備が整ってきてからパスタを茹でたり、ソースが煮詰まるのをゆっくりと待ったり、そういう余裕が出てきた。以前は買い置きすることに価値を感じていたけれど、いまは必要最低限かつ、買い置きするなら日持ちのする野菜や漬物、乾物、冷凍食品などを買うようになって、量もかえって適切になったような気がする。
Switchのゲーム(オーバークック)をちょっとやって、また掃除をして、少し書き物をして、アイビスSD(競馬)のことを忘れていたのでさっと予想をして賭けて、汗をかいたので35℃のお湯を張ってぼーっと浸かった。明るいうちから冷たいお湯(?)に浸かるとプールみたい。お風呂入りながら、競馬の結果を見た。
一日のことをこうやって書き始めると最後まで書かないといけなくなるね。
夜は実家から届いたジンギスカンを食べる。野菜を2回に分けて焼いたあと、ラムを焼いて、野菜を戻して、タレを入れて煮込む。この工程をなにも焦らずできている自分に気がついて、さっき書いた生活のことを考えていた。
ジンギスカンって、いかにも山の料理って感じだな。タレに付けてある肉が前提だから、パリッとした焼き肉みたいにはならなくて、煮込み料理にになる。タレからは生姜・にんにくとかの匂いがして。
とここまで考えて歴史を調べてみたが、特に北海道の人たちの伝統的な料理ではなく、羊毛のために輸入した羊を日本人向けに食べるためのレシピとして開発したみたいな感じらしかった(諸説あり)。