見出し画像

焼け跡の日本で、なぜ安吾は“堕落”を説いたのか "堕落論1/4"

堕落論

 今日からは坂口安吾の『堕落論』を取り上げて、皆さんと一緒に考えてみたいと思います。戦後の荒廃した日本社会のただ中で書かれたこの作品は、一見すると過激なタイトルを冠しているように見えますが、実は「堕落」という言葉を通じて、人間の本質や自由のあり方を鋭くえぐり出そうとしているのです。

今回の記事では、まず『堕落論』の歴史的背景と、坂口安吾がどういう気持ちでこの言葉を選び取ったのか、その奥行きをざっくりと眺めていきましょう。次回以降の記事では、さらに社会やテクノロジー、私たちの生活との具体的な関わりに踏み込んでいく予定ですので、もし読んでみて少しでもピンときたら、続けて読んでいただければうれしいです。フォローをしていただけると更新情報を見逃しにくいですし、ゆくゆくはメンバーシップという形でもっと突っ込んだお話を共有できる日がくるかもしれません。



戦後の社会と坂口安吾が直面した時代の息苦しさ

 坂口安吾(1906–1955)が『堕落論』を発表したのは1946年、第二次世界大戦が終結してまだ間もないころでした。日本は大規模な空襲や原爆投下の打撃を受けて街が瓦礫の山と化し、多くの人が生活の基盤を失っていました。経済的にも精神的にも「ゼロからの再出発」が嫌でも求められていた時代と言えます。

それまで日本では、天皇制や家父長制といった伝統的な秩序が「常識」として大きな力を持っていました。ところが、戦争に負けたことで、国全体が自信喪失の状態になり、封建的と思われた制度が一気に形骸化してしまったのです。国の威信や軍国主義的な価値観、あるいは「家」の存続を重んじる考え方が、戦中までは強固に維持されてきたにもかかわらず、敗戦後はそれが全く通用しなくなる。そういう急激な価値転換期にあって、人々は心の拠りどころを失い「何を信じて生きればいいのか?」と大きな戸惑いを抱えていました。

太宰治や織田作之助、石川淳など、同時代の作家たちは各々の表現を通じて戦後日本人の「虚無感」や「救いのなさ」を描き出そうと試みました。その中にあって坂口安吾は、より直接的に既存のモラルや常識を否定し、「堕ちる」という大胆な表現をもって「人間が本来持っている奔放さと欲望、そのすべてを受け止めるべきだ」と語りかけます。

なぜ「堕落」なのか?壊すことで見えてくる真実

 「堕落」という言葉にはネガティブな響きがありますよね。普通に聞けば、モラルが崩壊して行き着く先は破滅だ、というようなイメージを抱く人も多いかもしれません。実際、1946年当時の読者も、世間体を重んじる人々の間では「こんな放蕩を肯定するような話を書いてどうするのだ」「社会が乱れてしまう」と強い拒否反応を示したようです。

しかし安吾自身は、どこまでも“ただ破壊的に生きること”を推奨していたわけではないと考えられます。むしろ、「清く正しくあろうとするがゆえに隠れてしまう人間本来の欲望や弱さ - そこにこそ本質があるのではないか」という問いを突きつけたのです。表面的に「清廉潔白」を装うだけでは、実はそれは人間の自然なありようから大きく外れているのではないか、と。戦争に負けて以前の道徳や国の威光が崩れ去ったときに、一気に空虚感が拡大してしまった背景には「真の自分」というものを全く考えず、“国や伝統のため”に生きてきた人間の危うさが潜んでいたのだ―安吾はそこを鋭く指摘しようとしました。

既存の価値観を一度ぶち壊す。それは当然、社会的には危険な行為と見なされるでしょう。だけど、そこにあえて飛び込むことでしか獲得できない「自分の本音」や「自分らしい規範」がある。安吾は「人間は本来もっと俗であっていいはずだ」と考え、「堕落せよ」というスローガンを掲げることで、人間の弱さや欲望をまるごと肯定する道を示したわけです。

反発と共感 - 当時の読者はどう受け止めたか

 もちろん『堕落論』は発表当初から賛否両論を巻き起こしました。戦前の道徳や家制度に苦しんでいた人々の中には、「そうだ、もう無理して清くあらなくていいんだ」「自分の弱さを認めていいんだ」と共感する人も出てきました。また、文学者や批評家の間でも、「堕落論」は戦後日本文学の代表的エッセイとして注目を集め、以後の文芸活動にも少なからぬ影響を与えたのです。

しかし一方では、「ただの放縦を煽るような思想だ」と眉をひそめる人も少なくありませんでした。敗戦直後で混乱が大きいからこそ、「こんなに守るべき規範を解体してしまうような主張は危険すぎる」「社会が秩序を失ってしまうのではないか」と危惧する声もありました。実際、戦後という混乱期は、闇市が横行したり生活が不安定だったりと「秩序の欠如」が深刻な問題でもあったので、そうした批判も無理はなかったかもしれません。

興味深いのは、まさにそういう「秩序が崩壊した時代」だからこそ、安吾の「堕落せよ」という言葉が鋭く突き刺さったという点です。既存のルールが信用できなくなった人たちにとって、安吾の呼びかけは既成の価値観を更新する“挑発のメッセージ”として力を発揮したわけですね。

他の思想家たちとの通底 - ニーチェ、フーコーを例に

 安吾が生きた時代から約100年弱たった今、私たちが当時の文章を読むと、正直「極端な書き方だな」と思うところもあるかもしれません。しかし、その根底に流れる主張は、ヨーロッパの近代思想などとも通じる部分があると言えます。たとえばフリードリヒ・ニーチェは「神は死んだ」と宣言し、従来のキリスト教的モラルを無効化することで、人間が自ら新しい価値を創造すべきだと説きました。ミシェル・フーコーは、「社会における当たり前の規範は実は権力構造によって作られたものだ」という視点を提示し、我々が信じている“真理”の根底を揺さぶりました。

こうした思想家と同じく、安吾も「権力や制度が作り上げる正義や道徳」を一度解体することで、人間が持つ根源的な欲望や自由を回復する手がかりを見つけようとしていたのではないか、と推測できます。もちろん、「堕落論」は日本の文脈で書かれたものであり、戦争による破滅的な状況がその論の背景に大きく影響しています。しかし時代と場所を越えて、私たちも時に「本当にこれは自分が選んでいることなのか?」「社会が望むから従っているだけなのか?」と自問する瞬間があるとすれば、安吾の“堕落せよ”という言葉は意外にも普遍的な響きを持っているように感じます。


堕落論の時代

 今日の記事では、坂口安吾の『堕落論』が生まれた背景と、戦後という時代において「堕落」がいかに挑発的かつ解放的なメッセージを放っていたかを見てきました。そもそも道徳的に否定されがちな“堕落”という行為が、むしろ人間の本質や自由な可能性を呼び覚ますのではないか - それこそが安吾の大胆な問いかけだったわけです。

次の記事では、もう少し具体的に、安吾の“堕落”が私たちの日常や仕事、あるいは人間関係にどう応用できるのかを掘り下げてみようと思います。現代は戦後直後とは状況が大きく異なりますが、SNSをはじめとするテクノロジー社会においても“見えない圧力”が存在しますよね。そこから一度“堕ちてみる”ことが、どのような効用を持ちうるのか、ゆるやかに一緒に考えてみましょう。

もし少しでも興味を持たれたら、次回も読みにきていただけると嬉しいです。


いいなと思ったら応援しよう!