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新1万円札の顔、渋沢栄一に迫る "論語と算盤1/3"

新紙幣の顔はもう手にしましたか?

 今日からは新紙幣の1万円札の顔となった渋沢栄一の代表的著書である「論語と算盤」について取り上げていきます。 渋沢栄一(1840-1931)の思想は、日本の近代化過程と密接に結びついています。幕末から昭和初期にかけての激動の時代を生きた渋沢の91年の生涯は、日本の社会経済システムの劇的な変容を体現しています。

渋沢の思想形成において特筆すべき点は、まさに以下の2つです。まず、儒学の素養について述べると、従兄の尾高惇忠から論語を学び、その教えを生涯の指針としました。例えば、渋沢は若い頃、尾高惇忠とともに「誠実と仁義をもって人に接する」ことの重要性を説かれました。この教えは、後に彼が企業経営において従業員や取引先との信頼関係を築く上で大きな影響を与えました。次に、西洋文明との邂逅について言及すると、1867年のパリ万博視察を通じて、西洋の近代的経済システムに触れました。パリで見た銀行や株式市場の仕組みは、渋沢に深い感銘を与え、彼が帰国後に第一国立銀行(現在のみずほ銀行)を設立する際の参考となりました。

これらの経験が、後の『論語と算盤』の思想的基盤となっています。渋沢は、東洋の伝統的な倫理観と西洋の近代的な経済システムを創造的に融合させることで、新たな経済倫理の構築を目指したのです。

日本思想史研究の権威である家永三郎は、渋沢の思想形成について次のように分析しています。

「渋沢栄一の思想は、東洋の伝統的倫理観と西洋の近代的経済観の融合を試みたものであり、それは単なる折衷主義ではなく、新たな思想体系の創造であった。この思想的革新は、近代日本の経済発展と道徳的基盤の維持という二つの課題に対する独創的な解答を提示したのである」

家永三郎

家永の指摘は、渋沢の思想が単なる東西の折衷ではなく、日本の近代化における固有の課題に応答する形で生み出された独自の哲学であったことを示唆しています。

明治期日本の社会経済的背景

  『論語と算盤』が生まれた明治期の日本は、封建制から資本主義への移行期にあり、社会経済システムの根本的な変革を経験していました。この時期の特徴として、以下の点が挙げられます。まず、国家主導の産業育成である富国強兵政策がありました。たとえば、政府は鉄道建設や鉱山開発に多額の資金を投入し、近代産業の基盤を整えました。また、士族の商業への参入もあり、旧支配階級の経済的再編が行われました。多くの士族が武士から商人へと転身し、新たな商業活動を展開しました。渋沢自身も元は士族の出身であり、この変化の中で新たなビジネスチャンスを見出しました。

さらに、財閥の形成がありました。三井や三菱といった財閥が次々と誕生し、日本経済の中心となりました。西洋技術・制度の導入においても「和魂洋才」に基づく選択的近代化が行われ、渋沢はこれを実践し、銀行や製造業の分野で多くの企業を設立しました。そして、社会的価値観の変容も見られました。努力と才能によって成功を収めることが尊ばれる「立身出世」イデオロギーの台頭です。

このような複雑な社会変動の中で、渋沢は日本の経済発展と道徳的基盤の維持という2つの課題に直面しました。

経済史家の中村隆英は、この時期の日本経済の特質について次のような洞察を提示しています。

「明治期の日本経済は、伝統的な価値観と近代的な経済システムの衝突の中で、独自の発展経路を模索していた。それは、西洋の資本主義を単に模倣するのではなく、日本の文化的・社会的文脈に適合させる過程でもあった。この過程は、制度的同型化と文化的独自性の弁証法的展開として理解することができる」

中村隆英

中村の分析は、渋沢の思想が生まれた社会経済的背景が、単なる西洋化ではなく、伝統と近代の創造的な融合の過程であったことを示しています。この観点から、『論語と算盤』は、日本社会が直面していた近代化のジレンマに対する一つの思想的応答として理解することができるでしょう。

儒教思想と近代資本主義の邂逅

 『論語と算盤』の核心は、儒教思想と近代資本主義の本質的な調和を目指すものです。渋沢は、儒教の「仁」の概念を経済活動の基盤に据えつつ、資本主義の創造性と効率性を高く評価しました。

渋沢は次のように述べています。

「富をなす根源は何かと言えば、仁義道徳。正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することができぬ」

渋沢栄一

この言明は、道徳的正当性と経済的成功の不可分性を主張するものであり、現代の企業倫理やサステナビリティ経営の先駆的思想として評価することができます。例えば、渋沢が設立した企業の一つである第一国立銀行では、顧客や取引先との信頼関係を最優先にし、不正行為を徹底的に排除する方針を採用しました。この方針により、銀行は多くの信頼を集め、長期的な成功を収めました。

日本倫理思想史の泰斗である和辻哲郎は、日本における儒教と近代思想の融合について次のような洞察を提示しています。

「日本の近代化過程において、儒教思想は単に否定されたのではなく、新たな文脈の中で再解釈され、独自の展開を見せた。それは、伝統と革新の弁証法的発展の一例と言えるだろう。この過程で、儒教は単なる道徳規範から、近代的な社会経済システムを支える倫理的基盤へと変容したのである」

和辻哲郎

和辻の分析は、渋沢の『論語と算盤』を、日本的文脈における儒教思想の近代的再解釈の到達点として位置づけることを可能にします。それは、伝統的な道徳観と近代的な経済システムの創造的な融合を示すものであり、日本型資本主義の倫理的基盤を提供したと評価できるでしょう。


『論語と算盤』の構造と主要概念

 『論語と算盤』は、渋沢栄一の講演や著作をまとめたものであり、その構造は体系的というよりは、様々なテーマに関する洞察の集積です。しかし、その中には一貫した思想が流れています。主要な概念として以下が挙げられます。まず、道徳と経済の相互補完性を主張する道徳経済合一説です。例えば、渋沢は企業経営において利益を追求するだけでなく、社会全体の利益を考慮した経済活動を重視しました。これは、従業員の福祉や地域社会への貢献を含む広範な視点での経営を意味します。

次に、公益の追求です。渋沢は、企業が単なる利益追求の道具であるだけでなく、社会全体の繁栄に寄与する存在であるべきだと考えていました。彼の設立した多くの企業は、教育機関や病院の支援など、広範な社会貢献活動を行っていました。

また、士魂商才についても触れます。渋沢は、企業経営者に対して、高い倫理性と優れた実務能力を兼ね備えることを求めました。これは、経済活動が道徳的に正しいものであると同時に、効率的かつ効果的であるべきだという考え方に基づいています。

最後に、合本主義です。渋沢は、個人の力を結集することで、より大きな成果を生むことができると信じていました。この理念に基づき、彼は数多くの共同事業を立ち上げ、成功に導きました。

これらの概念は互いに有機的に関連し、渋沢の思想の骨格を形成しています。

経営学者の三戸公は、渋沢の思想について次のような評価を下しています。

「渋沢栄一の『論語と算盤』は、単なる経営哲学を超えて、日本型資本主義の倫理的基盤を提供するものであった。それは、利益追求と社会貢献の両立を可能にする思想的フレームワークを提示したという点で、現代にも大きな示唆を与えるものである。特に、ステークホルダー理論やCSV(Creating Shared Value)概念の先駆的形態として捉えることができ、グローバル化時代における企業の社会的責任の再考に重要な視座を提供している」

三戸公

三戸の分析は、渋沢の思想が現代の経営理論や企業倫理にも通じる普遍的な価値を持っていることを示唆しています。

『論語と算盤』の思想は、その歴史的背景と渋沢栄一の個人的経験が融合して生まれた独自の経済倫理体系です。それは、日本の伝統的価値観と近代化の要請を調和させようとする壮大な試みであり、今日のグローバル経済における倫理的課題に対しても、重要な示唆を与え続けています。

次の部では、この思想の核心である「道徳経済合一説」について、さらに深く掘り下げ、その現代的意義を探求していきます。

新紙幣が発行されて嬉しかったこと

 私はまだ渋沢栄一の新紙幣を目にできていないのですが、皆さんは目にしたでしょうか?先日、私が世界一好きな料理を提供してくれる担々麺屋さんに行った時、券売機から新紙幣の北里柴三郎の1,000円札が出てきました。券売機を新紙幣に対応するのがコストがかかり拒否する事業者も多い中、いち早く対応していたことに感動し、かつ中々年季の入ったお店なのでいつも「いつ食べられなくなるかわからない…」という気持ちで行っていたのですが、新紙幣の券売機に対応する経営の余白があると知って安心しました。笑

 私が心に"余白"を持てなくなりそうになった時の精神的支柱であるお店なので、とても嬉しかった出来事です。皆さんもそうした場所があれば是非教えてください。


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