根本的にはやっぱりからだを通過してしか表現できない
Sep 28, 2005(楽天blogより)
野口体操は、表現の場でも大きな役割を果たしています。
東京芸藝術大学に於いて野口体操は必須科目でした。
舞踊・演劇などのからだを直接、表現手段とする芸術から、
音楽・絵画・工芸・建築などの手だてを持って表現していく
芸術に至るまで、野口体操は行き亘っています。
からだの表現は勿論のこと、
どんな方法・道具を使うにしても、根本的にはやっぱりからだを通過してしか表現できないからです。
今日レッスンが行われた舞台芸術学院は、演劇人を育てて60年になろうとする学校です。
野口三千三が直接関わってきました。
からだの動きは動きだけで存在するものではなく、
その人個人の人間的ダイナミズムで成立しているからです。
野口体操がその哲学を深め、からだの動きを全人間的なものにしていったのは、演劇との出合いが大きく影響しています。
また、人間は表現したい生きものです。
他者との関係があるかぎり否応なく、双方の関係に
表現はついて回ります。
「表現するからだ」を獲得するためには、
何を捨て、何を取り入れなければならないのか、
からだが変わるための厳しく苦しいトレーニングは同時に自分自身と出合う発見の時間です。
そうやって沢山の表現者が誕生し、現場で活躍しています。
新しい表現を持って新しい表現者が誕生しようとしています。
プロの表現は、日常から非日常へ、現実から虚構へ、
からだを通過して表現するまでに高めます。
「その動きにとって適切なイメージによってうごくのである。
ひとつひとつの筋肉をうごかそうとするのではなく、
からだの中身の関係においてうごくのである。
今までの分析的な生理・解剖・心理などの
知識でうごくのではなく、
豊かな新鮮な明確なイメージによってうごくのである」
「動きのイメージは、分析的なものではなく
動的である方向感をもつ流れであり、
総合的な直感によって創造された生きものである」
(野口三千三)