#働くということ4
「半身社会」を目指す〜三宅香帆さんの著書を読んで〜
タイトルからして今の私にハマった「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」。三宅香帆さんの著書を手にして、一気に読んでしまった。著者の提言である「半身社会を生きる」について、著者と私は10歳も年下であるが、全く同意見です!と伝えたい(伝わるかな…?)。「なぜ正社員でいるためには週5日・1日8時間勤務+残業あり、の時間を求められるのだろう」…それな!とつい共感の口語が出てしまう。著者によると前述のような働き方は「全身」を仕事に浸している状態であり、その状況はもう止めませんか?という提言で締めくくられていた。
タイトルもそうだが、まえがきからぐっと引き込まれ、まさに「これって私のことかしら」と思う部分が多数あり、労働の歴史から社会学的な内容でいて難しすぎず簡潔にまとまっていて一気に読了してしまった。「全身全霊」を何か(ここでは特に労働)に捧げるのではなく、(全身に対して)「半身」でいこう、という提言を受けて感じたことは、【物事は「中庸が最善」】という考え方に似ているということだ。
「中庸」を目指して
私が好きな言葉の一つは「中庸」である。物事に過不足無く、偏りがないこと、の意として使われるが、日々「中庸」の難しさも感じつつ、極端に触れることがないように心がけている。もっとわかりやすく言い換えると「程々に」とか「ある程度」、「適度に」や「幅を持たせるいい加減さ」、とも言えるかもしれない。物事は白か黒か?で決まることのほうが少ないと思っているので、この言葉が好きなのだ。
フルコミットへの抵抗感
私は新卒当初からある意味で「半身社会」を望んできたと思う。この言葉自体は今回の著者の提言からだが、つまり「仕事にフルコミットする人生は嫌だなあ」と働く前から思っていたということだ。ただ、頂いた仕事を前に前述の本音は言えるはずも無く、「仕事大好きです!会社のために働きます!」という姿勢を見せることが社内評価にもつながる。そうすることで円滑に物事が進むなら仕事の間はそうしよう…という姿勢で十数年働いてきた。 本書は「フルコミット(全身社会)称賛社会」についての違和感を、今回著者が代弁してくれた気がした。私の感じていた違和感は、私だけのものではなかったのだと思うと同時に、私自身もその社会の一員としてフルコミットせざるを得ないと思いこんでいたのだ。自分の見識がいかに狭量であり、なんと狭い価値観だけの中で生きてきたのだろう…と内省した。
ただ、希望はまだある。私自身が「半身社会」を目指し現在絶賛足掻いている最中だから。