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スキルやアビリティについて:「受動的」に関する考察

 リスキニングという言葉の旬は過ぎたかもしれません。もっとも「学び直し」かどうかは別にしてビジネスにおいてスキルを身につけていくことは、新入社員に限らず大事なことです。
 今回は、そのようなスキルといわゆる能力(アビリティ)について、哲学的に――つまり言葉の面からアプローチして考えてみたいと思います。内容(主張)としては、これまで何度か記事の端々で触れてきた、ビジネスの場で能動性/能動的であることが重要視……というよりも再考の余地のない前提となっていることについて「バランスを取るべきだ」というものを含みます。

受動的という言葉

ついの言葉

 いきなりですが、私たちは「受動的」という言葉をもう少し真面目に扱うべきです。ポジティブ/ネガティブというセットも同じことですが、ポジとネガは一対の言葉で意味(=価値付け)としてはフラットのはずです。私は、別に「バランスを取る」というスタンスが好きなわけではありませんし、中庸であることがいいことだとも思っていません。しかしながら、本来フラットな一対の言葉の片方を「価値あり」とし――自動的に=無思考にもう片方を「価値なし」もしくは「排除すべし」と扱うのは、単に無理があるだけではなくストレスの元になっているのではないかと思っています。そういった観点から能動的/受動的というセットを取り上げてみようということですね。まぁ、あとは中動態だけが正解ではないということでもあります。

日常的な用途

 ビジネスの場で受動的という言葉は、ほぼ100%悪いニュアンスで使われているのではないでしょうか。真面目に考える前に、日常の用途で実際にどのような意味合いを持たされているのかを軽く確認しておきます。
 そうですね……例えば、「受け身で仕事をするな」とか「指示待ちではなく自分から働きかけよ」といったところでしょうか。表現は色々あるでしょうが、こういった用途でのニュアンスを英語で表現するなら多くの場合「reactive」が当てはまると思います。行為/行動(act)の後(re-)と書いてあるので、辞書的には「反作用、反応 事が起きてからの」という意味の言葉です。
 これの逆の言葉はとてもシンプルで「proactive」=「事が起こる前の」です。pro-という接頭辞は「○○の前の」という意味です。だからビジネスの場では、例えば「先手の行動(仕事」や「先を読んだ行動」についてよいニュアンスを伴って使われるような言葉です。
 ポイントは、これら(proactive/reactive)は、能動的/受動的ではないということです。ようするに私たちは、なんとなくproactive/reactiveについて、能動的/受動的を当てはめてしまっているのですが、違うよってことです。
 proactive/reactiveのセットは、「active」の前と後を示しているのであって、いずれにせよ「active」ありきです。activeは、actを語幹とした言葉で単体では「活動的」という意味を持つ言葉ですが、この言葉については後で戻ってきましょう。

受動的=パッシブ

 受動的という言葉はpassiveです。そしてパッシブという言葉は決して価値の低い言葉ではありません。
 パッシブデザインというと、例えば家などで、自然エネルギーをうまく活用したデザイン(設計)のことです。(人によりますが)もっと身近な言葉では、ゲームなどでパッシブスキルというのがありますね。常時効果を得られるスキルのことです。その対の言葉はアクティブスキル(能動スキル)で、コマンドで選択する等、特定の条件下でしか発動しないスキルのことです。まぁ、ゲームですから装備品やレベルアップなどでステータスを上げつつ、パッシブスキルやアクティブスキルもそれぞれ鍛えていくわけですが、一般的にパッシブスキルの獲得は(そのゲームにおける)成長の一つの節目になっていたりと、アクティブスキルの習得よりもむしろ価値が高い場合が多いと思います。

パッシブについて

語源と古い類語

 このあたりから真面目にパッシブという言葉について考えていきましょう。
 さしあたって、語源ですがこの単語のコアは、「耐え(patior)ている(-ivus)こと」です。ラテン語のpatior(耐える)を語源にして、上記の状態――passivus(耐えている)から古いフランス語でpassifとなり、「受動的な」という意味を持ちます。このpatior(耐える)というラテン語は他の言葉にも派生しながら現代にも残っていて、patient(患者)とかpassion(情熱)などがあります。
 ラテン語の時代での類語にはsustainがあります。「下からつかんで支える」と書いてありますが、要するに耐えているわけです。こちらの言葉……お気づきの方がいるでしょうが、持続可能性サステナビリティの語源です。流行り言葉であることを割り引いても、サスティナブルであることを悪いニュアンスで使うことはまずないでしょう。ところが、パッシブという言葉はそれとほとんど同じもの(耐え方についてのニュアンスの違いがありますが割愛します)なんです。正確に言うと、言葉としての繋がりはないが、言葉の持つ意味においては近さがあるということですが、昔はそうだったという話ではないのは、パッシブの現代の用途からも分かりますよね。

哲学的アプローチ

 さて、耐える――常に効力を持っているということについて、哲学的に考えてみます。といっても、ラフにいきましょう。ゲームのパッシブスキルを思い描いて頂いて……「常時発動している」というのは正確な表現ではない(=ゲームの便宜上の表現)というのはなんとなく分かると思います。だって、「発動」というのはアクティブスキルの方に当てはまる表現ですから。したがって、「常に効力を持っている」となるわけですが、このなんらかの効力(力)を持っている状態をアリストテレスはデュナミスdynamisという様態(モード)であるといいます。デュナミスは可能態と訳されたりするのですが、ポイントは、活動(energeia)や働き(ergon)じゃない――その反対のモードということです。馴染みのない言葉が並んでいますが、単純にアクティブスキルとの対で考えれば、まぁそうだよねと思ってもらえるのではないでしょうか。
 一応、言葉(語源)的に補足するなら、active(活動的・積極的・能動的)は行動(actus)に由来し、actusの同義語はまさにenergeia(活動)です。

スキルの本質――あるいはアビリティ

 さて、このことを踏まえて(今度はゲームではなくてビジネスを含む一般的な言葉として)スキルとは何かを考えてみましょう。ここは簡単に済ませたいと思いますが――スキル(技術・技能)もしくはさらに一般的に能力(アビリティ)とは、本質的にパッシブ(デュナミス)なものであるといえるのではないでしょうか。まぁ、私は普段から「本質的」という言葉遣いを避けている……それを敢えて使っているのですから察して――つまり、この一つの主張は割り引いて読んでください。
 ざっくりいって、活動にしろ行動にしろ、それらは現実(事実)の側のものです。そして、その対――そうでないモードとして可能態があり、能力(ability=「できうること」)はこちら側のものということです。ここの違いがとても重要で、「できうること」というのは「する」かもしれないし「しない」かもしれない……むしろどちらでもないということです。

再びビジネスの場

 ビジネス/仕事においては、能力とは発揮するもの(≒働く)というのが前提になっています。これは……表現の仕方が難しいですが――、能力というものをズレた(反対の)モードで捉えているともいえるでしょうし、あるいは可能態/現実態というモードについて極めて偏ったものの見方(考え方)をしているともいえるでしょう。
 そのような偏りがあることの弊害は……私たちがまさに仕事人として(あるいは一緒に働く人たちに)欲しているものが曖昧になる――もしくは見当違いをおこしていることです。
 リスキニングにしろ成長/育成にしろ、パッシブスキルを欲しているなら、それはアビリティといえるものでしょう。一方で、アクティブスキルを欲しているなら……それは単に活動が求められているのであって、例えば高付加価値であったり、長く必要とされるものではないです(それらはパッシブスキルのはずです)。そのようなアクティブスキルは、できるなら機械に置き換えられることが望ましい、そういうものだと思います。

結論

 図式的でかつ極端なかたちで、この記事で考えてきたことの結論を示すなら――能力の発揮、働き、つまりenergeiaは執拗に(もしくは頑なに)強調されるほどにはスキルに関係していない。スキルというのは、energeiaではなくdynamis側のものであるということです。
 そして、求められ欲するものがちぐはぐであることは、非効率でもあるし、なによりストレスの元です。そういったちぐはぐが起こるのは、私たちが「受動的(passive)」というものについて、あまりに杜撰に考えている(もしくはまるで考えていない)からだ、ということです。
 ちょっと、肩肘張った話になったかもしれませんが、単純にパッシブという言葉の訳をミスったという程度のことかもしれません。もちろん訳というのは難しいものですから、日本人が得意とするカタカナで使うというのもいいかもしれませんね(実際にパッシブデザインなどで使われています)。
 まずは、reactiveとpassiveを分けて考えるところから始めよう――と書きつつ思うのは、reactiveだって、別に悪いことではないってことです。よく考えたらポジティブ/ネガティブはカタカナで使われていますが、おそろしく偏った価値付けを伴っているのですから……まぁ、根が深いですね。このことに対する心理学者の責任は重大で――
 さいごに、この記事に教訓があるとしたら、その一つは「言葉遣いを丁寧にした方がいい」といったところでしょう。これはきれいな言葉を使うとかビジネスマナーとかの話ではないのは、分かってもらえるでしょう。生活がストレスフルだと感じる人がいらっしゃるとして、その小さな原因は、日常の言葉(の意味の偏り)自体がストレスを生むようなものだからです。それが言葉であるがゆえに、小さな虐殺器官ともいえるでしょう。しかし、虐殺器官とはそもそも小さなものなのです。

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松岡鉄久
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