自転車
この時期、御子息やお嬢様が就活(就職活動)という方々も、恐らくいらっしゃると思う。
このご時世で、昨年から一気に集合面談ではなく、リモート面談へと移行し、求人もかなり減少傾向で、特に昨年の就活は、未曾有の混乱と不安の中で行われたのではないかと思う。
そして今年も、少しは緩和されたとは言え、その流れの中でやることには変わりなく、就活生諸氏の心持ちを思えば、何とも言えず、その苦労を労いたい衝動に駆られる。
私は、もう30年以上前に、その就活を、した。運が良かったのか、悪かったのか、その翌年からバブルに突入という、円高不景気からの転換点の、しかも元号が昭和から平成に変わるという、これも未曾有の右肩上がりの時代で、まさに、学生にとっては、売り手市場になっていく頃だった。
そのとき、ある企業の最終面談で、なぜだか、面談は、もういいということになり、幼い頃の思い出で、印象に残っていることを話してみよ、という、雑談のような感じになった。
そして私は、そこで、なぜだかわからないが、自転車で遠出をして夜遅くまで帰宅せず、父に烈火のごとく叱られた話をしたのだ。
そのことを、これも、なぜだか、帰宅してから、晩御飯を食べながら、父と母に、話をした。
すると、徐に、父が言い出した。
コジは、自転車が好きなのかなあ。
小学校のときの文集には、ヘンテコな自転車の話が、書いてあった。
私は、確かに、自転車は、好きだった。
だが、私の思い出の中にある自転車は、なんの変哲もない、いわゆる、ママチャリ型の、子ども版で、ギアチェンジができるスポーツバイクは、未だに私の、永遠の夢の乗り物である。
そして、父が、私の作文が掲載されている、文集を二冊、食卓に持ってきた。
その頃は、心の中に、リトルkojuroはいなかったので、恐らく、私は、声に出して、言ったことだろう。
なんで、あなたが、私の文集をもっているの!
父は、かなり几帳面な人だった。
今日は、少し長くはなるが、その、ヘンテコな作文を、ここに、掲載しようと思う。
二篇、ある。
まずは、小学2年生バージョンから。「自転車」という題だった。
心の中の、リトルkojuroが、呆れて呟いた。
コジ、いったい、どんな悪ガキだったんだよ。
本当に。
まあ、1年生の頃から、変わったやつだったもんな。
次に、小学4年生バージョンから。「自転車乗りのきまり」という題だ。
心の中の、リトルkojuroが、ちょっと笑いながら呟いた。
実は、コジ、率先してあばれていたんじゃないの?
年下の子にぶつけて泣かして放っておいて、ぶつけられたら、いちゃもんつけて、蹴飛ばして家に追い返すような乗り方をしている悪ガキが、指導員のおじさんの言うことを素直に聞くとは思えないよ。
でも、二篇とも、本当に、書けって言われたから、仕方なく文字を並べただけっていう文章だな。本当に。
これ以上、なんも言えねぇ。
実はこの二冊の文集は、私が就職して寮に入るときに、これだけは持っていけと、父が特別に私に渡してくれたものなのである。
父は、そのとき、言った。
コジは、ヘンテコりんな性格なんだから、時々、それを読んで、自省しろ。
それ以来、この文集は、ずっと、私の手元にある。
何度か、家内にも読んであげたことがある。
家内は、少し笑ったが、ほぼ、無反応だった。
子供たちが大人になったときに、読んであげたこともある。
子供たちは、みんな、同じことを言った。
コジは、やっぱり、普通の人じゃないね。よく、ここまで、生きてきたね。
こんなコジでも生きていけるのだから、人生、なんとかなるんじゃないかと思う。
私の存在は、こんなコジでも、生きていられる。
そう、ほかの人に、思ってもらうことだと心得ている。
父がくれたこの文集は、今も、わたしにとって、自省のためのバイブルになっている。