おまけ
3連休に、帰宅した長女と次女と、家内で、隣町に買い物に出掛けた。
買い物は、私は、ついていくだけだ。しばらくは、一緒にまわるのだが、たいてい、何らかの仕事を抱えていて、喫茶店に陣取り、閉店まで一人で仕事をしている。
そして、閉店に合わせて小志朗(我が家の車には、小志朗=こじろう、という名前がついている)に戻り、また、車内でも何らかの、仕事をしている。
そこへ、長女と、次女と、家内が、喋りながら戻ってくる。
手には、荷物を抱えている。
そして、一応、私に向かって、言うのだ。
どうも、ありがとう。
おう。楽しかったか。良いもの、買えたか。
うん。
なら、良かったな。
財布は、私の財布である。それを使うのだから、せめて、お礼を言おうという、家族の気遣いである。
これが、いつもの、バーゲンの時の、お決まりの図である。
年始の買い物では、私に、思わぬお土産が、あった。
中身は、猫の、起き上がり小法師だ。
開けてみる。
玩具菓子というが、これでは、完全に玩具が主体で、お菓子は、それこそ、おまけだ。
私は、起き上がり小法師が、好きだ。むかしむかし、いくつか、集めていた時がある。
こういう、どんな状況におかれても、挫けずに、再び姿勢を戻すという根性が、いじらしいではないか。
それにしても、完璧なまでの、復元力。
心の中の、リトルkojuroが、呟いた。
完璧すぎるな。全然へこたれない。ちょっとは、見習わないと、な。
しばらく、2人で、起き上がり小法師を揺さぶり、ひっくり返しては、感心しての、繰り返しだった。
新年3連休明けから、私は、この、起き上がり小法師に、かなり、心を支えてもらっている。