ベルト
関西のおばちゃんのお話を、今夜と、明日と、明後日の3話、3部作で、書くことにしよう。
関西のおばちゃんとはいっても、神戸の下町の、おばちゃんである。関西の中でも、まだ、強烈まではいかない、マイルドなほうだということは、あらかじめ、頭の中のどこかに、入れておいて頂きたい。
関西のおばちゃんという表現は、関西の、妙齢の女性全般に対する呼称ではない。一部の、私が、これは、関西のおばちゃんであると、認める、以下の条件を備える、50代後半以上のお歳の、女性に対する特別な呼称である。
①図々しい
②妙に馴れ馴れしい
③頑固である
④人情があり、どこか、憎めないところがある。
もちろん、ここには、尊敬の念すら、ある。
実話だが、記憶が少し曖昧なところも、ある。だが、一字一句とは言わないが、ほぼ、会話については、当時をある程度以上、正確に、再現したつもりである。私は、つまらないことは、本当に、よく、覚えている。でも、それが、100%ではないことは、まあ、お許し願いたい。
さて、第1夜、1つ目の話を、お話しよう。
私が、高校時代である。何年生の時かは、もう、忘れた。
私の自宅は、神戸の、六甲山の、中腹にあった。神戸市バスが通っていて、終点に位置する。
神戸は、坂の街である。バスは、坂道を、エンジンを唸らせながら、黒い排気ガスをたくさん吐いて、シャカリキに登っていく。
そのバスに、乗っていたのだ。
バスは、満員では無かった。だが、席は、埋まっていて、ほどほどに混んでいた。
私の横に、いっぱいになった買い物袋を片手に持った、関西のおばちゃんが、立っていた。
バスは、坂道にさしかかると、かなり、傾斜し、揺れも、不規則になってくる。
おばちゃんは、荷物を片手に持ち、不安定な姿勢だった。
誰かが席を譲ってくれないかを見回していたが、そんな気前の良い人は、いるはずも無い。
おばちゃんは、つり革は、掴まない主義の人のようで、かと言って手すりを掴むわけでもなく、ふらりふらりと揺られるようにして、漂っていた。
まことに、危ない。
おばちゃんは、次のバス停にバスが停車すると、スルスルと、位置をずらし、後方へと移動し、ちょうど、私の後ろに立った。
私は、きちんとつり革を持ち、安定した姿勢で立っていた。私の後ろは、若い女性だったのだが、同じくつり革を持ち、きちんと立っていた。
おばちゃんは、私と、その女性の、ちょうど間に入ったカタチになった。
私も、その女性も、当然、外を向いて立っている。姿勢とすれば、背中合わせである。その隙間に、おばちゃんが、すっぽりと入ったということだ。
バスは、動き出した。
神戸の坂は、なかなかの、急坂だ。バスのエンジンは、またもや、いや、より一層、シャカリキに、唸りだした。
すると、なんと、そのおばちゃんは、私のベルトを掴んだのだ!
あー、ええ塩梅の高さや。
これは、ええ手すりやわ。
心の中の、リトルkojuro(注1)が、半分憤りながら、つぶやいた。
そんな暴挙、ある?
人のベルトを掴むなんて。
私は、キットして、後ろを向き、おばちゃんに一瞥を投げた。
すると、おばちゃんは、薄ら笑いの笑顔で、こう、言った。
おおきに。にいちゃん、しばらくお願いするで。
年の頃、母よりも少し上くらいの、いわゆる、関西のおばちゃんである。
見れば、確かに、背は、低かった。だが、頑張れば、つり革を握れないことは、ない。そして、手すりは、場所さえ選べば、これも、掴めないことは、ない。
私は、おばちゃんに、言った。
あのー。
手すり、持ったら?
すると、おばちゃんは、こう言った。
こっちのほうが、安定するもん。
かんにんやで(=ごめんね)。
心の中の、リトルkojuroが、呆れながら、つぶやいた。
おいおい。
どんな、図々しい、おばちゃんだよ。
するとほどなく、バスが、また、揺れ出した。
坂も少し急になってきて、シフトレバーを変えつつの運転になったのである。
おばちゃんは、相変わらず、私の、ベルトをしっかり掴んでいる。
もう、フラフラしていない。
また、バスが、揺れ、おばちゃんが、ベルトをギュッと強く握ったので、私は、また、ゆるりと、振り返った。
すると、おばちゃんは、にんまりと笑いつつ、こう、言った。
ありがとうな。
助かるわ。
ほんまに。
心の中の、リトルkojuroが、観念しながら、つぶやいた。
ここでおばちゃんを振り払ったら、おばちゃん、こけてしまうな。
コジ、ここは、ガマンしてやろう。
思えば、みかちゃん(注2)と、同じようなもんだよな。
この、おばちゃん。
そうこうしながら、バスは、そのおばちゃんの、目的のバス停に到着した。
おばちゃんは、私に、こう、言った。
にいちゃん、おおきに、な。
助かったわ。
ほんまに。
こけんですんだわ。
おばちゃんは、バスを降りた。
バスは、ゆっくりと、また、走り出した。おばちゃんは、私の方を見て、満面の笑顔で、大きく、手を振った。
私は、ただ、恥ずかしかった。
それから暫くして、みかちゃん(注2)が、買い物から帰宅してきてすぐに、家族みんなに、こう、言った。
あんなあ、世の中、偉い子も、おるもんやで。
両手に大荷物を持って、バスに乗ってん。
そしたらな、私の前に座ってた、ちょうど、コジくらいの高校生がな、席を、譲ってくれてん。
世の中、捨てたもんや無いで。まだ。
コジやったら、そんな、席を譲るなんて、せーへんやろ。
私は、その時、先日の、ベルト事件を、思い起こしていた。
心の中の、リトルkojuroが、笑いながら、つぶやいた。
コジ、それ以上の貢献を、結果的には、しているけれど、ね。
そして、こう、締めた。
コジ、情けは、人の、ためならず、だな。
ほんとうに。
(注1)心の中の、リトルkojuroは、昔から、心の中に、いた。私の、本心でもあり、陰の、相談役でもある。まだ、noteの世界では、去年の夏頃から登場した。この頃は、正確には、リトルkojuroという呼び名では、なかった。だが、便宜上、リトルkojuroの、名前で、登場してもらった。なぜか、言葉が、標準語っぽい。
(注2) 母は生前、特に、孫ができてから、孫から。あるいは、私や兄、義姉、家内を含め、家族から、「みかちゃん」というあだ名で呼ばれていた。母は、このあだ名をあまり気に入っていなくて、何度も名前を変えて欲しいと孫たちにお願いをしていたが、だって「みかちゃん」じゃん。と、長女に笑いながら言われてから、観念したようだ。正確には、この当時、私は、母のことを、「おふくろ」と、呼んでいた。